融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2025年02月01日 | 礼拝のご案内

 明日2月2日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「祈りは愛」、賛美歌は「子の世はみな」、「この世のつとめ」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。礼拝後は、2月の定例役員会があります。

 誕生の恵みと成長の喜び、そして老いの辛さを経て、人間は世代交代を果たしていくのかと思うと、何だか荘厳な気持ちになります。それが自然の摂理というものですから、自然を冒涜し、自然に逆らおうとするならば、その行く末は総じて察するところがあるというものです。

 「人間は考える葦である」という哲学者に学べば、一人ひとりは葦のように弱いけれど、一人ひとり考え、互いの意見が尊重され、意見をすり合わせる力がありさえすれば、大きな困難も乗り越えて行けるような気がします。問題は、互いの意見を尊重し、意見をすり合わせる能力に欠けているところがありはしないかと考えさせられる今日この頃です。

 


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「幸いとは愛」

2025年02月01日 | 聖書のお話

「幸いとは愛」 マタイによる福音書 5章1~12節

 イエスさんは、大勢の群衆に向かって、「心の貧しい人々は、幸いである。」、「悲しむ人々は、幸いである。」、「心の清い人々は、幸いである。」と言いました。貧しさのために心が挫けてしまった人々、苦しいことがあって泣いている人々、困難があっても心を清く保っている人々の日常生活について話されました。

 イエスさんは、心の貧しい人々には「天の国はその人たちのものである。」と言い、悲しむ人々には「その人たちは慰められる。」、心の清い人々には「その人たちは神を見る。」と言いました。置かれている状態はそれぞれに異なっていますが、いずれも「幸いである」と肯定しています。そのことを通して、「幸い」とはその人々が置かれている状態のことではなく、神さまに愛されているかどうかであることを教えています。

 人間を最終的に「幸い」へと導くのは、神さまの愛です。イエスさんは、神さまの愛が全ての人々に注がれていることを教えるために、置かれている状態が異なる人々全てを「幸いである」と言いました。イエスさんはまた、人々に「自分を愛するように、隣人を愛しなさい。」と教えました。人間は、弱い存在ですが、互いに愛し合うなら全ての人々が幸せになれます。幸いとは、愛によってもたらされるのです。

 


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