融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「最後のラッパ」

2017年05月13日 | 聖書のお話

「最後のラッパ」 コリントの信徒への手紙一 15章50~58節

 ラッパは、戦いが始まるときに吹き鳴らされました。また、戦いが終わったときにも吹き鳴らされました。戦いに終わったときのラッパは、戦いに勝利したことを知らせるラッパの音であり、それを聞いた人々は、戦いに勝利したことを喜び祝いました。パウロの言う「最後のラッパ」とは、死者の復活という終わりの日を継げ知らせる合図のことです。それは、罪に勝利し、死を滅ぼされるイエスさんの到来を告げる合図でもありました。

 パウロは、イエスさんの到来によって、罪が無効化、無力化され、死の存在そのものが「どこにあるのか?」という状態になるのだと教えています。だから、「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」と伝えています。パウロは、イエスさんの十字架と復活がそのことを証しているのだから、いつも主に結ばれて愛の業に励みなさいと勧め、一時の苦難を堪え忍ぶこともまた無駄にはならないと教えています。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

礼拝の予告を忘れていました

2017年05月08日 | 日記

 何だか礼拝の予告を土曜日に書くのを失念してしまいました。どうも、すみませんでした。

 GWは、連れ合いと子どもたちが義母の1年の記念会に出席するために帰省していました。記念会が土曜日に行われることもあって、私は欠席をさせていただき、一人で留守番をしていました。

 しかし、一人でいると、誰とも話すことがなくて、静かなものです。電話をかけたり、かかってきたりするとき以外、口を開いて声を出すことがありません。そのせいか、昨日の日曜日の礼拝でお話をしていると、途中から声が枯れてしまいました。

 それで、日曜、家族は帰省先の教会で礼拝を守り、夕方になって浜坂に帰りました。そんなこんなで、礼拝の予告を失念してしまったようで、何とも抜けていました。

 今日から、再び普段通りの生活に戻りましたが、今度は何だか騒がしく、疲れています。私も歳を取りました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自分の弱さを自覚した」

2017年05月05日 | 聖書のお話

「自分の弱さを自覚した」 ヨハネによる福音書 21章15~19節

 イエスさんを失った弟子たちは、気落ちして故郷へと帰っていました。そこで、自分たちの思うがままに魚を捕ろうとしましたが、魚は全く捕れませんでした。そこにイエスさんが現れて、「船の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」と言いました。不思議なことに、誰もイエスさんだと気がつきませんでしたが、イエスさんの言う通りに網を打つと、魚がたくさん捕れました。自分の思うがままにすると失敗し、イエスさんの言葉に従うと成功する、何とも暗示的な気がします。

 イエスさんは、自分のことを三度も「知らない」と言ったペトロに、三度「私を愛しているか。」と問いかけ、ペトロに3度「はい、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」と答えさせました。何度失敗したとしても、何度でも赦そうとされるイエスさんの気持ちが伝わってきます。そのことは、ペトロに自分の弱さを自覚させることにもなりました。自分の弱さを自覚して、たとえ自分の思い通りにならなくても、イエスさんの言葉に聞き従う信仰があるならば、悲しむことも無くなるように思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花壇の整備

2017年05月05日 | 日記

 今日、午後から花壇の整備をしました。私が浜坂に来てから、花壇の土を入れ替えたことがありません。おそらく、更に4年以上、手を入れてないと想像します。それで、前々からやろうと思っていました。

 以前、土を掘ってみたこところ、浅いプールのような格好になっているような感じがしました。作業をしていると、お向かいのお爺さん声をかけてくれましたので、事情を説明したところ、「そりゃ、石だ。掘ってみろ。」と言われました。

 何だか、「船の右の方に網を打て。」と言われたような気がして、言われた通りに少しずつ掘り返してみました。すると、その通り、平たい大きな石が一杯ありました。お爺さんのアドバイスに従い、根気強く石の回りを堀り起こし、石が顔を出して来ました。けれども、石を持ち上げることができませんでした。それで、何とか花壇の縁に石を倒し、そのままずらすように花壇の外に転がして出しました。もうこれ以上、この大きな石をどこかに持って行くことは大変なので、庭のどこかにころがして、オブジェとして飾っておくことにしよう。

 実は、花壇に野菜を植えて育てているのですが、上手く育たず、枯れたりして不思議に思っていました。当初は、土が浅いのがいけないのかなと思い、ブロックを付いて高さを増し、土をたくさん入れようと思っていました。

 けれども、せっかく大きな石を取り除いたのですから、ブロックでかさ上げするのはやめて、少し深めに掘って、土を入れ替えることにしました。掘っては石をかき集めて一輪車に移し、その繰り返しを3回ほどしました。それにしても、レンガ、茶碗の割れたの、コンクリート片、石ころ等々、びっしりと埋まっています。土があるのは、表面から数センチだけでした。どこの会社なのでしょうか、こんな仕事をしたのは。

 また後日、もうちょっと深くして、新しい土、といっても、これも大小様々な石などが混じった庭土なのですが、牛糞堆肥と混ぜて花壇に移したいと思います。

 この花壇は、半日日陰の場所です。半日日陰でも育つ野菜を植えたいと思います。ていうか、ちょっと時期が遅くなってしまい、内心焦っているのですけど・・・

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草刈りの季節

2017年05月01日 | 日記

 昨日の日曜日は、2017年度の定期教会総会がありました。

 浜坂教会は、多くのご支援を受けています。ご支援がなければ、たちどころに立ちゆかなくなる教会です。

 それでも、総会では卑屈になるのではなく、積極的に改善の方法について意見が出されたり、意欲があります。

 教会総会後、ちょっと疲れましたが、今日の月曜日が雨の予報でしたので、霊堂前の芝刈りをしました。

 水仙の花などを楽しんでいたら、すっかり雑多な草花が芽を出し、種を飛ばしていました。

 植物もなかなか考えているもので、タンポポのように、優雅に風に乗って種を飛ばすのもいれば、触ったり、振動が加わると、房の部分が弾けて、中の種が四方八方に飛び散るようになっている種類のもあります。まるで爆弾です。

 それで、大きめのを手で引き抜き、全部やるのは大変ですので、後は電動芝刈り機で切断します。電動芝刈り機は、浜大根伝道の積立金で購入することができました。本当にありがたいです。

 今日は、予報の通り、朝方に雨が降りました。おかげで、午前中は何もせず、体を休めることができました。これから、芝や草の勢いが増します。草刈りの季節になりました。段々と、体がしんどくなってくるのを覚えます。私も着実に歳を取っています。ペース配分というものを考えながら、仕事をしたいと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする