融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2025年02月15日 | 礼拝のご案内

 明日2月16日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「愛を持つ」、賛美歌は「この世はみな」、「この世のつとめ」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 昨年のラニーニャ現象により、昨夏は暑く、今冬は寒いという教科書通りの気候になっていることを体感できています。加えて、地球の歩みの中で地軸の傾きが増大方向にあるとのことで、それによって偏西風の蛇行幅が広がり、北極からの冷気と赤道からの熱気をより運んでくるようになるそうです。その影響で、寒くなるとより寒く、暑くなるとより暑くなる傾向になるそうです。一般人の私が理解し得る、気象科学です。ちなみに、地球温暖化説とやらは、気象科学で証明されている訳でもなく、私にしてみれば宗教みたいなものだと思います。

 確かに、最近の気候は極端に感じることが多いです。しかし、これも母なる地球の営みであるならば、そこに生きる者たちは甘んじて全てを受け入れるしかありません。人は、自然と共に生きることが一番良いのです。そういうことを考えていると、「地に足をつけて」という言葉を思い起こします。「地に足をつける」とは、落ち着いているとか、しっかしているという表現です。私は、そのようにできるのは自然に根ざしているからではないかと思います。反対に、「浮き足立ってる」という言葉を思い起こします。「浮き足立つ」とは、気もそぞろで、ふらふらしているという表現です。私は、そうなるのは自然に根ざしていないからではないかと思います。

 最近、フェイクニュースというものに振り回されてしまうといった状況があるようです。フェイクニュースに注意しましょうと言いながら、フェイクニュースを垂れ流したりしている状況があります。私は、フェイクニュースかそうでないのかを判断するとき、論説委員の解説などと言う他人の意見や判断を「答え」とするのは愚の骨頂だと思います。そんなことより、地に足がついてさえいれば分かるものではないかと考えます。「地に足がつく」とは、落ち着いて考える、しっかりと考える、そして自然の理に基づいて考えるということです。そうすると、分かることは分かるようになるものです。人の意見は「答え」ではなく、参考です。人の意見を正しいと思ったり、流されてしまうのは、地に足がついていないから、自然の理に反しているからに他ならないと思う今日この頃です。

 

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