新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

GWは名古屋へ~5

2015-05-07 20:00:03 | 旅行

栄生から準急吉良吉田行き(名古屋から急行)に乗ります。金山まで乗りJR線に乗り換え。快速豊橋行きで大府へ。大府からは武豊線に乗り換えます。

まず降りたのは亀崎駅。素朴な木造駅舎ですが、一説によれば日本最古の現役駅舎です。軒先に取り付けられた資産管理票に明治19年築の表示があることから日本最古の駅舎となっていますが、建築後に火災にあっており建て替えられているのではと、疑問符も付いている駅舎です。しかし現役の木造駅舎としてはなかなか味のある建物で、このような駅舎が名古屋近郊に残っていることがすごいです。

昨日は雨模様だったので順延されたのでしょうか。潮干祭が行われているようで、この日は乗降客も多く、無人駅ですがJR社員が派遣されて改札口で案内をしていました。上り大府行きに乗り隣の東浦駅へ下車駅増殖。すぐにやってきた下り列車で半田駅へ向かいます。


半田駅は半田市の中心駅ですが、この駅にも日本最古の現役跨線橋が残っています。武豊線は先の改正で電化され電車が走り始めましたが、跨線橋の改築は行われず低い位置に架線が張られています。発車する列車を撮影しましたが、前パンタが低い位置で上がっているのがわかります。 

跨線橋にはJR発足後に掲示された札が残っていました。明治43年に完成した跨線橋です。

こちらにはちゃんと証拠が残っており、跨線橋を支える柱の下には明治43年に鉄道院新橋工場で製造された刻印が残っています。ホーム側は塗料で見ずらくなっていましたが、駅舎側はわざわざ塗料を剥がして見やすくしています。ちなみに新橋工場は現在の汐留シオサイトにあった初期の鉄道工場です。

半田駅の跨線橋の下には赤レンガのランプ小屋が残っています。こちらも跨線橋と変わらぬ時期に建てられたもので、鉄道文化財的にも貴重なものです。
半田駅の古い施設を見た後は、歩いて10分ぐらいの場所にある名鉄知多半田駅へ。ここから名古屋行き一部特別車の特急に乗ります。ミューチケットをあらかじめ購入して特別車に乗って名古屋までしばし休憩。名古屋へ戻り帰りの新幹線に乗るのですが、さすがに疲れたので当初予定していた1時間前の名古屋1629発こだま668号に乗って帰路につきます。名古屋始発のこだま号で離れ小島の13号車~15号車の自由席に座ったので、東京までゆっくり過ごすことができました。

富士山の付近は夕刻の暮れてゆく時刻に通過。新富士到着前には雲に隠れていた富士山でしたが、新富士で後続ののぞみ号の通過を待っているうちに雲が少し退いたようで、新幹線著名撮影地付近では頂上部分が顔を出していました。すっかり雪解けをした富士山を見て、1917に東京に到着。京葉線で家路へと着きました。


GWは名古屋へ~4

2015-05-07 19:39:04 | 旅行

名古屋城を後に地下鉄市役所前駅から地下鉄名城線と東山線を乗り継いで名古屋駅へ。ここで名鉄に乗り換えるため名鉄名古屋駅へ。初見に人にはよく分からない名鉄名古屋駅名物、方面・行先別乗車位置にも違和感なく並び、岐阜行き急行に乗ります。一つ目の栄生で下車。駅から歩いて5分ほどのトヨタ産業技術記念館へ。

トヨタの源流とも言える豊田紡織の本社工場跡地に設立されたもので、トヨタのかつての主流であった繊維機械と、現在の主流自動車産業の歴史を展示しています。繊維機械は豊田佐吉が開発した機械から最新の機械まで、ほとんどの機械が動態保存されています。新幹線で大阪方面から来ると、庄内川を渡ってすぐにこのギザギザ屋根が見え、以前からこの屋根のある場所はなんなんだろうと気になっていた場所です。

エントランスに置かれている環状織機。豊田佐吉が1906年に発明した機械で回転円運動により布を織り上げる機械です。

1924年に完成した無停止杼換式豊田自動織機G型です。

自動車館ではトヨタ自動車の源流とも言える豊田AA型乗用車の開発過程から、自動車の製造工程、デザインの変遷などを見ることができます。ここでもトヨタの主要な乗用車が展示されており、初代プリウスも展示されています。こちらのプリウスは1998年長野冬季五輪の聖火リレーの際に使われた車両が収蔵されています。
かつての工場を利用しているので、中は広く、展示されている内容もかなり濃いものなので見るだけで大変です。要点をかいつまんで見学しましたが、それでも1時間はほど滞在していたようで、かなりの疲労感がありました。少し足を引きずりながら栄生駅へ戻ります。 


GWは名古屋へ~3

2015-05-07 19:18:03 | 旅行

5/5は一転、晴れて暑くなる予報。8時半頃にホテルをチェックアウトして、駅のコインロッカーに荷物を預けて地下鉄桜通線に乗ります。暑くなるようなので、半袖を着て出てきました。久屋大通で地下鉄名城線に乗り換えて名城公園へ。おめあては名古屋城なので一つ手前の市役所前で下車すればいいのですが、名城公園駅まで来てしまいました。名城公園の中を歩いて名古屋城へ向かいます。この道のり、今を去ること20年ほど前、青春18きっぷを使って東京からムーンライトながらで名古屋に早朝に到着。前夜に母親がもたせてくれたおにぎりを食べるために、あの時も地下鉄桜通線と名城線を乗り継いでやってきました。そして

お堀の向こうにそびえる名古屋城が見えた時、その名古屋城を見ながらおにぎりを頬張ったことをふと思い出してしまいました。あの時と変わらず名古屋城は建っており、20年という時の流れを感じてしまいました。
そんな感傷に浸りつつ名古屋城東門から入城しますが、開門したばかりだというのに券売所は行列。行列に並んで入場券を買って入城します。
現在の名古屋城は1609年に神君徳川家康公の命により築城が開始され、1612年に完成し、尾張徳川家の祖徳川義直が入城してから尾張徳川家の居城として栄えました。明治以後宮内庁の所管となり城郭や建造物が残されており、昭和になって名古屋市に下賜され、1930年には国宝に指定されましたが、1945年の名古屋大空襲で天守や本丸御殿などほとんどが焼失してしまいました。1959年には鉄骨RC造で天守が復元され、2009年からは本丸御殿の復元工事が開始、2013年から一部が公開されています。

東門から入ると目に入る、東南隅櫓。別名辰巳櫓です。こちらは焼失を免れ、尾張藩時代の貴重な遺構となっており、重要文化財に指定されています。

復元された本丸御殿の玄関部分。車寄せの部分で御殿の入り口にあたります。ここから来訪者は入ったようです。

来訪者を迎える玄関には狩野派の絵師による見事な襖絵が施されおり、来訪者に徳川家の威光を表していたことでしょう。この襖絵は太平洋戦争時に外され疎開して焼失を免れた襖から復元されたものです。色鮮やかに現代によみがえっており、息をのむ美しさでした。

こちらは藩主と対面する座敷の藩主の座る場所。一段高くなっている上段の間にはきらびやかな装飾が施されていました。じっくりと堪能したいのですが、次から次へと写真を撮ろうとする人がやってくるので、落ち着いて見ることはできませんでした。

名古屋城天守です。屋根上に輝く金鯱が有名ですね。青空に陽の光を浴びて輝いていました。天守の中に入ると博物館になっているのですが、あまりの人の多さに嫌気がさして2階部分まで見たところで降りて出てきてしまいました。本丸御殿がまた復元されるようなので、その機会にでも見てみたいです。こんどはもうちょっと空いている時期にして。
天守を出てから西北にある御深井丸へ出て、特別公開されている西北隅櫓を見に行きます。さすがにここまで来る観光客はいないのか静かでした。この西北隅櫓は清洲城天守または小天守を移築したものと伝えられ、清須櫓とも言われています。こちらはかつての面影を残し、また内部もそのままなので、江戸時代の雰囲気に浸れます。何より人がほとんどいないのが嬉しいです。

西北隅櫓を見学してから西の丸へ歩くと、天守と西南隅櫓が並んでいるのが見れます。青空に映える天守もいいですが、天守や櫓を支える石垣もまた見応えのあるもので、美しい曲線と綺麗に積まれた石垣が見事です。しばし石垣の素晴らしさを堪能してから東門へ向かいます。このころには観光客が押し寄せてきており、本丸御殿の入場列が伸びてきていました。そんな混雑し始めた名古屋城を後に地下鉄に乗ります。