かつて日本には大手航空会社が3社ありました。
日本のフラッグシップのJAL日本航空。国内線中心から国際線へと羽ばたいたANA全日本空輸。
そして国内線を中心にローカル路線、さらには近距離国際線も飛んでいたJAS日本エアシステム。
JALやANAにはない挑戦的なスピリッツを持っていて、個性的な航空会社でした。しかしローカル線主体の経営が災いして、2003年にJALと経営統合し、2004年にはJAS便名の消滅と日本航空ジャパンへ商号変更、さらに2006年に日本航空に統一されて消滅してしまいました。
保有する飛行機もボーイング機中心の2社とは違い、マクドネル・ダグラス社のMD-81やMD-87,MD-90、エアバス社のA300シリーズ、ニッポンの翼のYS-11などを保有していました。そしてその塗装も独特のものでした。
エアバスA300型旅客機を導入する際には、エアバス社のハウスカラーをそのまま自社の飛行機の塗装にしてしまいました。このカラーはエアバスA300B2/B4型、A300-600R型のみならずMD-81/87やDC-10、さらにはYS-11にも塗装され、JASのイメージカラーにもなっていました。一時B747-400を発注していたこともあり、その時のイメージパースにはエアバスカラーをまとったジャンボ機が描かれていました。
マクドネル・ダグラス社のMD-90を導入する際には、映画監督の黒澤明氏にデザインを依頼し、7種類の塗装を施しました。7人の侍ならぬ、7種のレインボーカラーとしてスポッターを楽しませてくれました。ちなみに2号機には黒澤監督のサインが入っていました。
そして、B747-400の代わりに国内幹線(羽田ー大阪伊丹・新千歳・福岡線)用にボーイングB777を導入する際にはデザインを公募し、当時中学生だった方のデザインが採用されました。
飛行機ではありえない左右非対称で、機体にレインボーラインが巻き付いているという大胆なデザインに当時は驚いたものです。
このB777は、レインボーセブンと名付けられ、国内線初の3クラス(スーパーシート、レインボーシート、レギュラーシート)となり、レインボーシートは1000円追加でゆったりシートと、今のJALのクラスJにつながるクラスとなっています。また全席に国内線初の個人モニターが付いていて、様々なコンテンツを提供していました。
このJASは私をヒコーキの世界へと引きずり込んだ張本人。
応援しているプロ野球球団、福岡ソフトバンクホークスの本拠地福岡へ行く際に、かつてはブルートレインや新幹線を使っていましたが、ブルートレインが縮小されていった2000年から飛行機で東京ー福岡間を往復するようになり、その時に始めに乗ったのがJASのB777で、それ以来福岡往復の際にはJASを使い、福岡滞在の折には当時福岡ー鹿児島間で飛んでいたYS-11に搭乗するなどしていました。そしてその時の経験からずるずると旅客機の沼へとはまってゆくことになります。
もちろんJASのマイレージサービス「JASマイレッジサービス」にも登録しています。JJ統合の際にはJMBへ移行し60で始まる会員番号で登録していますが、この頃はANAばかりでほとんど使用していません。
と、こんな記事をアップしたのは、JALの国内線用B777-200とB777-300のうち、プラットアンドホイットニー社製のエンジンPW4000シリーズのエンジンを積んでいる機体が全機退役したとのニュースに接し、この中には旧JASのB777-200も含まれ、この退役をもってJASの機材が全て日本の空から引退するという事になりました。
ちなみに当ブログのアカウントのうちb777-289の部分はJASのB777のボーイング社の型式番号からとっており、89がJASのカスタマーコードです。このカスタマーコードはボーイング社に直接発注し新規納入された機体に必ずつけられるもので、日本では46=JAL、81=ANA、KZ=NCA日本貨物航空、4K=ANKエアーニッポン、7C=日本国政府(B-747政府専用機及びE-767)、Q3=JTA日本トランスオーシャン航空、FK=防衛省(航空自衛隊KC-767)、SB=日本国政府(B777政府専用機)が割り当てられています。
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