ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
ルール無用がまかり通る?
先日アジアンタイペイでのオフ会の2次会でカラオケに行ったのだが、
メンバーの1人が歌っていたのが‘アストロ球団のうた’
強烈な歌詞でみんな大ウケ。
そこで話題になったのがアストロ球団のネタで、ルール無用の魔球や○○
打法が登場する。
そういえば昔は こういった類のマンガは多々あった。
アストロ球団でいえばエースで4番の宇野球一が打席に入る前にバット
にヒビを入れ、打球と一緒に破片を飛ばし守備を撹乱する
‘ジャコビニ流星打法’が最も印象深い。
他にも打球が摩擦熱で燃える‘コホテーク彗星打法’ や
打球が鋼鉄の扉を3枚貫通する‘バム打法’などがある。
これ以上すさまじいのがあるが、あえて省く。
ルールを捻じ曲げるという意味で最もインパクトが大きかったのが
アパッチ野球軍。
ユニフォームなしで試合をするだけでなくキャッチャーの材木はレガース
すらしてないし、なぜか女の子が2人レフトとライトに入っている。
更に凄いのがアパッチがリードして迎えた最終回に逆転サヨナラ
ホームランと思われる打球をセンターのモンキーがスコア
ボードによじ登ってキャッチするのだ。
フェンスを越えた時点でホームランのはずだが審判は
アウトのコールをして試合終了というトンでもない結末
だった。
今なら当然ヒンシュクものでクレームが付くのだろうが、当時はまかり
通っていたわけで ある意味‘しょせんマンガの世界’ と世間が受け入れる
だけの余裕があったのも事実。
リアルではないと・・・・と目くじらを立てられる今と、こういったルール無用が
受け入れられていた当時とどちらが いい時代か考えてしまう今日この頃だ。
コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )
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現実的で夢のない時代になったと思いますよ。
最近ヒットした野球漫画の『メジャー』も、結構現実的ですしね。
まあ、現プロ野球選手に破格な選手が殆ど居ませんから、漫画も地をいくって感じですかね。
書かれてました阪急のオーダー(選手名)もちろん覚えてますよ。私が初めてテレビで見た阪急の試合が75年の日本シリーズでしたから、阪急はもちろん広島のオーダーも記憶しています。大下・三村・ホプキンス・山本浩・シェーン・衣笠。。。こーじさんもそうだと思いますが、子供の頃初めて見聞きした事って何故かずっと頭に刻み込まれているんですよね。ですから同時期の巨人、阪神、南海、近鉄のオーダーも私はスラスラと空で言えるんですよ。ただ阪急森本のプレーは2年間くらいでしたから(中日へ移籍)、どちらかと言えばその交換で来た島谷の印象が強いですね。足立、長池は全盛期を過ぎていましたし、大熊よりもやはり簑田が時代的にはストライクゾーン。ワインカラー、太平洋クラブのアメフトタイプユニは何ともアクロバット的な斬新さでしたが、継いだクラウンライターはあの時代としてはセンスが際立ってました。藤井寺や大阪球場で若き日の真弓、若菜、立花、慶元(いずれも柳川商ですね)や東尾、土井、竹之内などを見ましたが、まさか程なく西武に変わろうとは思いもよりませんでした。
交流戦、オリックスが阪急黄金期のユニフォームを復刻するらしく私的には楽しみです。ただ超一線級の選手を揃え、盤石の強さを誇れど阪急は人気がイマイチでした(職人気質が濃かったです)。同時期は確かには近付きづらい(特に子供、女性ら)ムードのチームカラーではありましたよね‥☆
やはり夢のないのも寂しいですね。
まぁギャグとしてのジャンルでは通用するかもしれませんけど。
>なにわのヒバゴン様
なんといっても原作が花登筐ですからね。
野球そのものよりチームができるまでのEPの方が
メインだったような気がします。
71年という事は前年PLが初めて決勝に進みましたから、それはあるでしょう。
しっかり人文字応援までやってましたから。
オーダーは確かに覚え始めた頃のメンバーがインパクト強いですからね。
島谷はドラゴンズ時代は守りがウリだったのに、移籍してから打撃開眼で4番を打ってましたから驚きました。
太平洋クラブライオンズのアメフト式のゼッケンユニフォームはコチラでは不評でしたね。
‘あれは恥だ’とみんな言ってまして76年前期のみでしたよ。
加倉は タイガースでしたからね。
立花が入団1年目から3・4番を打ってたのですから、
ライオンズなら‘ひょっとして’でしたけどね。
現実を見ますと、ダルビッシュに対抗出来る強打者は存在しませんよね?
マスコミで話題になるのは、「ダルビッシュが何勝出来るか?」など、個人的に目を向けるばかりで 、対戦の話題は皆無な様に思えます。
ですから、壮大な野球漫画を描こうにも モデルが存在しない のかもしれませんね (笑)
それが最近の日本野球の問題点ですよ。
長嶋さんも‘投手同士のライバル関係より打者とのライバルがないと’と言ってました。
やはりチームをあげて育成するようにしないとダメ
ですね。
特にドラの平田などに早く一本立ちしてダルのライバルになって欲しいのですけど。
当時の阪急、一塁加藤英は時々ポロポロとエラーがありましたが、マルカーノ・大橋の「キーストンコンビ」は絶妙でしたね。鮮やかなグラブ捌きかつ強肩の大橋、職人はだしマルカーノのスナップスロー。。。これに簑田、福本、ウイリアムス(のちの田口、本西(あるいは谷)、イチローに匹敵する)の鉄壁の外野陣が待ち構えてましたから、投手は心強かったでしょうね
その阪急、77年の甲子園のヒーロー松本・三浦以外で期待したのが吉沢俊幸ですね。日大三で春優勝と準優勝、早大でも名内外野手として鳴らしての入団でしたが、いかんせん黄金期のメンバーがデ~ンと居座るレギュラーの壁はあまりにも厚かったようです。最後は86年南海に在籍しての引退となりましたが、今でも日大三高、あるいはOBのオリックス近藤らを目にする度に若きホープだった吉沢を思い出すんですよ。現在は東京でサラリーマン生活を送っているらしく、きっとナイスミドルになっているのでしょうね‥☆
中日ファンの間では 、「イビョンギュなど使わず、平田をもっと使え!」という声が上がってますが、ごもっともだと思いますよ。
漫画みたいなホームランをかっ飛ばす、ブランコの一発を観れなかったのは残念でした。
殺気を感じたのか? 満塁で敬遠気味の四球でしたからね(笑)
島谷は74年にドラゴンズがリーグ優勝を決めたウイニングボールを取った男です。
山下大輔の打った3塁ライナーをキャッチしての優勝でした。
マルカーノのバックトスや大橋のレフト守備位置あたりからの送球は凄かったですよ。
吉沢の事は初耳でした。
>捲土重来鷹男様
私もそう思いますが、落合監督は守備重視でしょうからね。
今のうちにアピールしとかないとダメですね。
ブランコのホームランは生で見る価値十分ですね。
カネ払ってでも見たいホームランですよ。
中日:一塁マーチン、二塁高木守、三塁島谷、遊撃正岡
大洋:一塁松原、二塁シピン、三塁米田、遊撃山下大(ボイヤーは?) ホーム用オレンジ、ビジター用グリーン。。。湘南カラーのユニフォーム。ルーキーでいきなりレギュラーの山下はまさに幹部候補生の道まっしぐらだったのですね。のちの立浪、二岡、野村謙二郎などと同じイメージ。やはり下積みなしの選手って超エリートだなと思いますよね。
その与那嶺中日は金ヤンロッテに敗れ、悲願の日本一はそこから33年後(山井・岩瀬の曰く付きのリレー)まで待たねばならなかったのですね。栄冠にケチをつけることもないのですが、実質はセ・リーグ2位。落合監督も拍子抜けのところがあったように見受けましたよね
こーじさん、具志堅とピンクレディはまさしく同時代のスターでしたね。76年世界王座獲得(ペッパー警部のデビュー大ヒット)、81年3月ともに引退(解散)を表明しました。爆発的に燃焼し、日本中をブームの渦に巻き込んだのも酷似。具志堅の防衛継続中、工藤や中島、上原も世界を獲りましたが、あまりにもカンムリワシの存在感が大きいため彼らの栄誉もうっすらと霞んでましたよね‥☆
そういえば具志堅とピンクレディの活躍した時期は被りますね。
意外でした。
工藤政志など日本人世界挑戦16連敗をストップさせ
Jミドル級で3度も防衛しているのですが、具志堅が目立ちすぎましたからね。
ボイヤーはサードでマーチンはライトが多くファーストは谷沢でしたよ。
74年はリーグ優勝が10月12日の土曜日で、翌13日は
後楽園でジャイアンツとの最終戦のWヘッダー。
日本シリーズの第1戦が16日の水曜日というハードスケジュールでした。
それが雨で流れたため14日にずれ込み長嶋の引退試合も月曜に行われたのですが、ドラゴンズナインは中心選手を東京に送り込まず名古屋で優勝パレードを
したそうです。
日本シリーズで優勝してのパレードならいいですが
リーグ優勝でシリーズ前にパレードなどやれば勝てる
ワケないですよね。
中日はリーグ優勝に酔いしれるのは分かるのですが、何も長嶋引退日にあんな二軍クラスばかりを出場させるとは「ミスタープロ野球」に対する敬意があまりにもなさすぎます。私は小1だったのでそのような事情も知る由もなかったのですが、数年後にその日のスコアボード「一番藤波(ルーキー)」、「四番大島(ブレイク前)」のラインナップを見て10‐0の巨人勝利にようやく納得でした。そんなナメ切った中日に対して金ヤンが燃えないわけがありませんよね。
長嶋も原辰徳も引退試合に一発を放って最後を飾りましたが、相手投手も厳しいインコース攻めなど出来ませんし“打ってください‥”とばかりに投じたのでしょうね
78年頃だったでしょうか、中日高木が故障で戦線離脱の際、あの森本潔がセカンドを守った試合をTVで見た覚えがあります。その頃は阪急時代の顔面全体がヒゲではなく、口や顎にたくわえている程度でしたが「セカンド森本」は新鮮でした。島谷が打ち、稲葉が勝ちまくる阪急と、森本・戸田が衰退していった中日。まさに明と暗がくっきりでしたね。戸田は現在は名古屋で焼肉屋を経営しているらしく、食通の間ではかなりの評判のようです。PLのパイオニア的存在ですし、一度機会が食べに訪れたいものですね。
一時期マーチンが1塁を守り谷沢がライトを守っていた時期がありましたからね。
とはいえ谷沢はアキレス腱を痛めてから1塁に専念でした。
長嶋の引退試合は月曜日で下校中にTVで見ると10-0でジャイアンツリードでした。
長嶋の引退試合のレコードのスタメンを見たらベストメンバーではないので‘何で?’と思ったのですが、そういう事情は後から知りました。
76年に鉾田一の戸田がノーヒットノーランをしたシーズンにブレーブスの戸田もノーヒットノーランを達成しました。
それで私的に名前を覚えたワケです。
どちらかと言うとオーバーアクションな長嶋さんの守備を見慣れていた眼には新鮮でしたねえ。
後楽園でしたから、もちろん巨人vs大洋、あの日の先発メンバーは今でもはっきり覚えています。
巨人:柴田・土井・高田・王・森・柳田・黒江・上田・堀内(長嶋はケガでスタメン落ち)
大洋:中塚・江尻・シピン・松原・江藤・ボイヤー・伊藤・米田・平松
両エースが投げ合い、松原、王の4番がそれぞれホームランを打ち、最後は延長10回裏のチャンスに長嶋が代打で出てサヨナラヒット!堀内も26勝した全盛期で球の速さと縦のカーブの曲がりが凄かったです。これは少年時代の最高の思い出でした。
長嶋さんの引退試合の時の中日のメンバーはちょっとあれは無いよね、でしたね。確か一軍クラスは大島だけ、それも優勝パレードに出るのを「長嶋さんに失礼だから」と断って試合に出たのだ、と言う逸話があるようです。
後ほどネタにしようと思ったのですが、私も初めて
ジャイアンツ戦を後楽園で見たのはホエールズ戦でした。
忘れもしない75年8月16日の土曜日でしたよ。
ホエールズが
中塚・高木・松原・シピン・長崎・ボイヤー・福島・山下
で投手は平松。
ジャイアンツは
高田・富田・柴田・王・淡口・矢沢・河埜・山下で投手は
横山でした。
ボイヤーの守備はまさしくメジャー仕込み、ヤンキースOBですから乱暴者のシピンでも直立不動ですね。
それにしても大島がパレードを断って長嶋の引退試合に出たというのは初耳でした。
なかなかの好漢ですね。