ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
日本ラグビー悲願の勝利から20年!
今から20年前の今日89年5月28日は宿沢広朗監督率いるラグビー日本
代表がスコットランドⅠⅤに28-24で勝ちIB主要8カ国から初勝利を
挙げた日である。
宿沢監督は‘スコットランドには勝てる’と宣言し、5つのトライを挙げた
のに対し相手のトライを1つに抑えての完勝で見事に実行したわけだ。
2年前に初めて開催されたW杯に参加した日本は最終戦の消化試合
モードに入っていたオーストラリアにこそ善戦したものの、勝てるはずの
初戦のアメリカ戦で簡単なPGを外しまくって18-21で敗れたのが響きイン
グランドには大敗し3戦全敗。
88年にはアジア選手権で韓国にも敗れて優勝を逃す失態を犯して監督が
辞任し、宿沢広朗が監督に就任していたのだ。
ベストメンバーが5人ぐらいしかいなかったとはいえスコットランドに勝った
事で一気に国内の人気は上昇してムードがよくなり、翌90年に行われた
第2回のW杯アジア・オセアニア予選でトンガと韓国に勝って見事に出場権を
獲得した。
91年の本番では5カ国対抗で優勝したスコットランドとエジンバラで対戦し
敗れたとはいえ前半は競り合いに持ち込むと、アイルランドにもダブリンで
対戦してトライ数は同数と健闘。
最終戦で同格と言われたジンバブエに大勝し
W杯初勝利を挙げた。
ところが この試合を最後に宿沢監督が退任すると代表は
急降下する。
協会の順送り人事ともいえる人物に率いられた代表は‘タテ・タテ・ヨコ’
なるパワーを前面に押し出したスタイルで強化して格下相手には勝てる
ものの、格上のチームには全く歯が立たないという状態になってしまう。
そして95年の南アフリカW杯でウェールズとアイルランドに大敗して迎えた
最終戦でニュージーランドに17-145と最悪の大敗を喫して世界に恥を
晒した。
この頃から世界のラグビーはプロ化していき、頑迷なアマチュア
リズムに凝り固まった日本は乗り遅れる。
それでも平尾誠二を監督に就任させてアジア予選を突破し、パシフィック・
リム選手権で優勝し宿沢ジャパン時代に果たせなかった決勝ラウンド
進出が期待された。
ところがオールブラックスOBを2人代表入りさせたのを含めた外人部隊を
中心に‘戦術より個人の自由な判断優先’というジーコと同じ考えで臨み
3戦全敗に終わった。
それ以降2度のW杯が行われたが、代表の勝利は91年のジンバブエ戦
のみという惨状。
89年から91年に見えたはずの世界の背中が、世界のプロ化によって遥か
遠くに霞んでしまった感が強い。
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それでも私には(負けはしましたが)ウェールズとのカーディフでの一戦、釜石の7連覇とともに三大メモリアル。見れなかった悪夢がまざまざとなりました。
たしかに それまでの戦いぶりを見ていたら期待するのは難しいと思ってましたが、まさか!でしたね。
カーディフでの24-29も燃えましたが、反撃がもう少し早ければ・・・・と思ったものでした。
釜石の7連覇は、そのころ地元のローカルテレビが2回戦から中継してくれてたので日本選手権までの4試合、録画しました(だがそのテープも今は……)。そのころまで、大学や社会人の試合を秩父宮からライブしてくれてたのですが翌年あたりからそれがお馬さんになっちゃって文句言っちゃいました(現在もお馬さん中継は続く)。
当時はラグビー中継も多かったですからね。
国営放送だけでなく民放もやってましたから、不自由しなかったですが現在はCSと契約しないと地方では見られませんよ。
大いに不満ですね。