渡嘉敷勝男の戴冠から40年

 今から40年前の今日81年12月16日に仙台の宮城県スポーツセン
ターで行われたWBA:Jフライ級タイトルマッチで、2位の渡嘉敷
勝男が王者・金煥珍に3-0の判定で勝ち9カ月前に具志堅用高が
失ったタイトルをスパーリングパートナーだった渡嘉敷が奪還す
るという快挙に沸いた。

 王者の金は7月に具志堅からタイトルを奪取したペドロ・フロー
レスを13RTKOで破って王座に着くと、10月に元フライ級王者アル
フォンソ・ロペスに判定勝ちし初防衛に成功していた。

 スピードで勝る渡嘉敷は強打の金のパンチをかわしざまに的確な
連打を打ち込む形でラウンドは進み、心配されたスタミナもペース
を完全に掌握しているからか最後まで衰えずに判定に持ち込まれ文
句なしの3-0で渡嘉敷が勝ったのだ。

 渡嘉敷といえば以前も記したように79年度Jフライ級新人王では
あるもののKO勝ちは新人王獲得後の12戦目だったし、6月に行われ
た日韓新人王戦では終盤失速しての判定負けとスタミナに難がある
といわれていた。

 ただし非常に打たれ強いためスパーリングで具志堅が思いっきり
打てるという事から具志堅のスパーリングパートナーとして一緒に
行動するうちにスタミナも付いて来たし、もともとあったスピード
がスタミナが付く事で最後まで衰えなくなったばかりか連打も出る
ようになったのだ。

 その具志堅が3月に故郷の沖縄で敗れた事からポスト具志堅とい
う事で、具志堅が11度目の防衛戦で判定勝ちした世界ランク3位の
東洋太平洋王者・金龍弦に判定勝ちして世界3位に上がっていた。

 おりしも81年は具志堅用高・上原康恒・大熊正二という3人の王
者が立て続けにタイトルを失い、11月に三原正がWBA:Jミドル級
王者になったもののエースといわれたバンタム級1位の村田英次郎
が12月11日に4月に引き分けたWBA王者ジェフ・チャンドラーに敵
地で挑戦したが13RTKO負けするなど嫌なムードがあった。

 しかも村田と同じ日にWBA:Jライト級王者サムエル・セラノに
1位の友成光が敵地で挑戦するも10RTKO負けしていたし、その前
にはジャッカル丸山が韓国てストップ負けしていた。

 そんな中での渡嘉敷の勝利は具志堅が失ったタイトルを弟子の
渡嘉敷が取り返した事や、国内世界戦の勝利は2月3日の大熊正二
3度目の防衛戦以来だったわけで年内最後の世界戦だった事もあ
り大いに沸いたのだった。

 

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