73年のジャイアンツ―タイガース戦を見ると

 緊急事態宣言下で外出自粛だった事もありネットで動画サイトを
見る機会が多かったのだが、そんな中で印象に残ったのがジャイア
ンツヴィンテージで取り上げられた73年10月11日のジャイアンツ―
タイガース戦。

 73年はジャイアンツ9連覇最後の年で130試合目に甲子園での直接
対決で9-0で勝ちリーグ優勝を決めたのだが、その前に10月10日と
11日に後楽園で行われたジャイアンツ―タイガース2連戦で初戦を落
としたジャイアンツが2回までに0-7とリードされた試合を一旦逆転
し再逆転されたものの引き分けに持ち込んだ10月11日の試合がダイ
ジェストの形で作られていた。

 73年といえば今から47年前だから、当然ながら野球のスタイルも
驚くほど違うのに気付く。

 まずタイガースが前日リリーフで勝ち投手になった江夏豊を先発
させ、逆に前日の先発投手だった上田二朗がリリーフに出たものの
PH萩原康弘の逆転3ラン&高田繁のHRなどで逆転される。

 またジャイアンツも先発の堀内恒夫が早々とKOされ玉井信博から
関本四十四、倉田誠、高橋義正とつなぐのだがベンチ入りしていた
投手は6人で最後は小林繁だった事から解説の村山実が‘新人の小林
には荷が重い’というコメントがあるように1試合最大5人でまかなう
というのが常識だったようだ。

 この試合で出たホームランはスタンドぎりぎりのような打球が目
立ち自称両翼90mセンター120mでフェンスも低い後楽園ならでは
という感じで、今の球場なら東京ドームでもホームランになってな
いような打球が多かったのが目に付く。

 とはいえ球場の雰囲気は鳴り物がなくMLBの球場と同じ雰囲気で
自然発生的に歓声が湧くのは観客がゲームに熱中している証拠だし、
内野に天然芝が敷かれているのは今でもなかなか見られない光景で
最高の環境と雰囲気の中で行われていたのが分かる。

 また赤木孝男アナの落ち着いた実況もゲームを彩り、昨今の民放
地上波から失われたものと実感する。

 ちなみにこの試合は侍ジャイアンツで番場蛮が田淵幸一相手に、
分身魔球を初披露した試合としても使われていた。

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