最も悔いの残った市長杯決勝    

 今から40年前の今日80年10月10日に行われた高校野球の地元
市長杯の決勝で、我々西田川は田川東に4-3で逆転負けを喫し
3大会連続の準優勝となってしまった。

 試合は3回まで0-0で進み4回に2アウトから3番&4番の短長打
で2・3塁から5番のセンターフライをセンターが落球し2点を先取
するのだが、5回裏に1点を返されるものの6回に1番がヒットで出
塁して盗塁しバントと犠牲フライで3-1と突き放し流れを掴んだ
かに思われた。

 しかし その裏に1アウト1塁からエラーをきっかけに追い付かれ
ると8回裏に勝ち越されて迎えた9回に、1アウトから3番&4番の短
長打で2・3塁とするが後続を断たれ5回の市長杯決勝で最も悔しい
準優勝となった。

 この年の夏に田川が甲子園出場したように市内の6校では田川が
独走という形だったのが甲子園メンバーが引退し一気にレベルも
混戦状態になり、5日に行われた準決勝で西田川は田川に8-7で
逆転サヨナラ勝ちして決勝を決めた時点で優勝を確信していた。

 市長杯は例年春と秋に行われるのだが秋の決勝は10月10日に
中学と高校に社会人の3部門の決勝が行われており、高校は2試合
目の14:00頃が試合開始予定だった。

 そこで13:00ぐらいに会場の市民球場に走って到着していたの
だが何と対戦相手である田川東の姿がないし、本来ならナイター
として行われる社会人の決勝に出場するメンバーがいるのだ。

 明らかにおかしな状況だったので部長が本部席に問い合わせた
ところ、この年は田川が甲子園出場した事で高校の部を最終試合
に変更していたというわけで対戦相手の東には連絡が行っていた
ようだったがウチには来てなかったようだ。

 こういう信じられないような連絡ミスのおかげで一旦学校に戻
るわけにもいかず、スタンドで社会人の試合をぼ~っと見るハメ
になり凄く間延びして迎えた決勝だった。

 だから本来なら1回からテンションを上げて入るところをスカ
された気分で臨む形になり、せっかくのナイトゲーム初体験が
後味の悪い結果になってしまったのだ。

 それから4年後のサラエボ五輪スピードスケート男子500mで
優勝候補筆頭だった黒岩彰が積雪による順延で集中力を乱して
10位に終わった事を思い出したのだが、世界王者だった黒岩を
して順延による
集中力の維持の難しさを示していたので高校生
だった我々の場合仕方ないとは思うのだが・・・

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