祖父の受難劇

 1955年頃の1月下旬の話。母がまだ高校生だった頃なのだが
祖父が年明けから腹の調子が悪く不調を訴えて病院に通ってい
たがかかりつけの内科医は「お腹を暖めなさい」と言っていた
らしい。
 ところが治るどころか腹が痛み出したので仕事できなくなり
往診して貰った際に「盲腸では?」と母達が尋ねると「仰向け
で寝られるから盲腸ではない、しっかり湯たんぽなどで暖めれ
ば明日には楽になる」と言ったそうだ。
 実は祖母はその内科医に肋膜炎を治してもらっているので、
「あの先生の言う事に間違いはない、あの先生の誤診で祖父が
命を落としても悔いは無い」などと言って違う医者に診てもら
うのを拒否していた。
 そこで向いに住んでいる祖母の母が内科医を問い詰めたので
内科医も自信があるらしく隣の外科医に見せると言い出した。
 ところが外科医の診断は「盲腸が破れて腹膜炎を起している、
一刻も早く手術しないと手遅れになる」という事で手術に入った
ようだが腹がパンパンに膨れているため腰椎麻酔ができず、表面
だけ麻酔をしてあとは生で切られたらしい。
 手術中に外で待っていた母や祖母がやけに手術室から「痛い!」
と叫ぶ祖父の声が響き渡るので‘おかしい’と思っていたらそう
いう事だったようで立ち会った内科医が「私の誤診だった」と自ら
のミスを認めたそうだ。
 普通なら助からなかったそうだが幸い当時から使われだしたペニ
シリンを大量に使って祖父は命を取り留めたらしい。内科医が「今
夜一晩ガマンしたら楽になる」と言っていたが確かに死んで楽には
なっていただろう、シャレにならない話である。
 それでも内科の主治医はミスを認めながら診察などの治療代は、
しっかり請求してきたそうだ。
 「オレはあんな手術2度とせん、あれは拷問だ。あんな手術をし
ないと助からんのならあのまま死んだ方がマシ」と祖父はその後事
あるごとに言っていたらしい。
 当時43歳?、現在の私と同い年の頃だった。
 こうして幸運にも危機を乗り越えた祖父はそれから約40年後の94
年に82歳で亡くなるまで、糖尿病にはなったものの大した病気もせ
ずに77歳まで現役で仕事をしていたのだった。
 だから99年の1月11日に脱腸の手術を最低限の麻酔でやった時は、
‘祖父に比べればマシ’と思っていたものだ。
因みに父も子供の頃に盲腸炎をやっているようで私だけやってない
と思っていたら脱腸の手術を受けるハメになったのだった。
 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (まみ)
2007-01-31 04:58:47
「あんな手術」が二度もあるようでは、人生やってられません( ̄_ ̄;;)…。くわばらくわばらです{{{(;>_<;)}}}
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2007-01-31 17:24:45
>まみ様
 ホントひどい話ですよ。因みにこの内科医は別の患者には冷やさせてやはり腹膜炎を起させたそうです。
 
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