世界王者と引き分けたのに酷評されたアポロ嘉男

 今から50年前の今日74年3月14日に富山で行われたWBA:Jライト
級タイトルマッチでベン・ビラフロアに挑戦したアポロ嘉男は、強
打を誇る王者相手に動き回ってチャンスを狙うもプレッシャーの前
に打ち込めずラウンドを重ね引き分けでタイトル奪取ならず。

 前年10月にハワイで柴田国明を1RでKOして王座返り咲きを果たし
たベン・ビラフロアは初防衛戦で来日したのだが、挑戦者のアポロ
嘉男はヒット&アウェーで対抗するものの王者が得意とする打ち合
いを避けたまでは良かったが肝心のパンチを打ち込めず逃げ回って
いるようにしか見えない展開。

 ところが判定は日本人のレフェリー&ジャッジが73ー73・74ー73
・73ー74の三者三様の引き分け。

 当時の日本は‘疑わしきはイーブン’思想で採点していたから15R中
ほぼ10Rは5-5のイーブンを付けていた事になるのだが、それぐら
い噛み合わない展開で特にアポロは挑戦者なのだから王者が足を使
われると弱いとはいえ攻撃を殆どしなければタイトルは奪えない。

 本来なら世界王者と引き分けるというのは次につながるもので、
80年代には村田英次郎がバンタム級でWBC王者ルぺ・ピントールと
WBA王者ジェフ・チャンドラーと立て続けに引き分け評価を上げて
いたのを思い出す。

 ところが王者と引き分けたとはいえアポロの評価は低く‘逃戦者’
と新聞などから叩かれる始末だったのだが、この展開は現在でも大
ヒンシュクものだろう。

 だからか再戦を要求する声は皆無で3年後の77年にアポロはビラ
フロアに判定勝ちしタイトルを奪取したサムエル・セラノにプエル
トリコに乗り込んで挑戦するものの、一旦はグラつかせたが大差の
判定で敗れて世界は取れずに終わったのだ。

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