‘KO仕掛け人’ロイヤル小林のラストファイトから30年

 今から30年前の昨日81年10月18日は‘KO仕掛け人’と呼ばれたロイヤル
小林が韓国で黄正漢に1R KOで敗れて保持していた東洋太平洋タイトルを
失い、この試合を最後に引退する事になった。

 この年の12月12日にアメリカでWBCフェザー級王者のサルバドール・サン
チェスへの挑戦の話が出ていたのだが、9月に韓国で行われた1階級上の東洋
太平洋王者・呉永世にノンタイトル戦で判定負けしたのが響いてキャンセルと
なりモチベーションが下がった状態での防衛戦だったのは不運だった。

 そして世界タイトル同様、東洋太平洋タイトルも韓国で失った形になっている。

 思えばKO仕掛け人といわれたロイヤル小林だが、鮮やかKO勝ちを量産する
のと裏腹に世界戦では1勝したのみで せっかく奪取したタイトルも前王者:リゴ
ベルト・リアスコの防衛戦トラブルで45日以内に韓国で1位の廉東均の挑戦を
受けなければならずに不運な判定負けで在位期間は46日という最短在位記録
まで作ってしまった。

 ミュンヘン五輪日本代表でフェザー級ベスト8の実績を引っさげてプロ入り。
デビュー戦こそ判定勝ちだったものの2戦目からは11連続KO勝ちし、1試合を
挟んで5連続KO勝ちして世界ランクも2位まで上がり75年10月にWBAフェザー
級王者のアレクシス・アルゲリョに挑戦。

 ところが後に3階級制覇するアルゲリョのスピード溢れる左で突き放され、4R
終盤に左フックをヒットしてチャンスを作るものの5Rに左フックのボディブローで
KO負けの完敗だった。

 再起戦後に2勝1敗で迎えた1年後の76年10月に この年から新設された
Jフェザー級タイトルに挑戦し王者のリゴベルト・リアスコを8RでKOして5月に
輪島功一が敗れて日本から世界王者がいなくなった空白期間をストップした
のだ。

 ところが前記した事情で46日目に厳寒のソウルでの防衛戦に臨んだのだが
1Rにバランスを崩したところに左を貰って手を付くダウンの後は、挑戦者から
徹底的に逃げ回られて強打も空転し0-2の判定負けで王座を失った。

 その後78年1月に廉をKOしたウィルフレド・ゴメスに挑戦したものの3Rに
左フックでアゴをかすめられて倒されKO負け。
 
 再起戦で黄福寿から東洋太平洋フェザー級タイトルを奪取して1度防衛後に
WBA王者のエウセビオ・ペドロサに挑戦。
 喫した3敗が全てKO負けという事で‘小林の強打が決まれば’と思われた
一戦だったがペドロサの変幻自在の戦いぶりに強打は空転し、10R以降は
一方的に打ちまくられるサンドバック状態に追い込まれ13R終了時点でギブ
アップし これが結果的に最後の世界戦となった。

 最初に挑戦したアルゲリョはフェザー・Jライト・ライト級の3階級を制覇し通算
16度の防衛中に15KO防衛したスーパースターで、タイトルは全て返上した
スーパースター。

 3度目に挑戦したウィルフレッド・ゴメスはデビュー戦で引き分けた後 全試合
KO勝ちで世界王者になり17連続KO防衛し、フェザー級とJライト級まで これ
また3階級制覇した名王者。

 更に最後に挑戦したエウセビオ・ペドロサもフェザー級タイトルを19回も防衛
した名王者だったわけで、こういうスーパースター相手に戦った日本人ボクサー
は ほとんどいない。

 個人的に小林のベストファイトは世界戦で唯一勝ったリアスコ戦よりも初挑戦
で敗れたアルゲリョ戦だと思っているぐらい、負けても絵になる選手だった。

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