ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
小熊正二が初挑戦で世界を掴んで50年
今から50年前の昨日74年10月1日に日大講堂で行われたWBCフラ
イ級タイトルマッチで、10位の小熊正二が王者ベツリオ・ゴンサレ
スに148ー141・147ー143・144ー148の2-1の判定で勝ち23戦目
で初のWBCフライ級王者となったのだ。
70年12月にKO勝ちでデビューした小熊は6戦目で一旦敗れるも、
再戦で雪辱して迎えた74年5月19日に20勝11KO1敗の成績を引っ下
げ出身地の郡山でWBCフライ級王者ベツリオ・ゴンサレスと対戦。
この試合はゴンサレスが勝ったものの僅差の展開だったので小熊
の善戦が認められ、5カ月後にタイトルをかけて再戦となったのだ
がワン・ツーを中心に攻勢だった小熊の手が上がる形になった。
当時のレフェリー&ジャッジ構成はジャッジが両国から出し、レ
フェリーは中立国というスタイル。
だから僅差の場合は中立国のレフェリーの採点がカギを握るが、
メキシコ人のレイ・ソリスは148ー141で小熊としており日本人の
手崎弘行でも147ー143だから内容的に小熊の攻勢が評価されたの
だろう。
実際3者とも10ー9につけたのは3Rの小熊のみで2者が取ったと
するラウンドは小熊が4・9・12Rの3に対し、ゴンサレスは7・10
・13Rの3だから4-3で小熊の勝ちというところか。
ところがゴンサレスはクリーンヒットを被弾してないと考え、
勝ったと思っていたらしく判定に対して怒りを露わにし小熊に
与えられる勝利者トロフィーを蹴飛ばして破壊するという暴挙
を演じた。
まぁゴンサレスにすると3年半前にWBA 王者・大場政夫に挑戦
した時に、変幻自在な戦いぶりで大場のパンチを空転させ勝った
と思ったにも拘わらずに日本人審判団に負けにされており‘またか’
という思いからの暴挙ではないかと思われる。
もっともラッキーボーイと思われた小熊は3カ月後に初防衛に
失敗すると、僅差判定に度々泣き返り咲くまで5年4カ月を要する
のだがこの時点ではそういう雰囲気は全くなかったのだ。
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