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こーじ苑
20年前に生き残った福岡がJ2で、落ちた川崎がJ1連覇とは
アビスパ福岡 井原監督 サポーターと交流 ”J1昇格”逃し退任
今年のJ1は川崎が2年連続優勝を果たし札幌もACLへの出場
権はギリギリで逃したものの、クラブ史上初の4位に入る大健
闘を見せた。
一方でクラブ史上で初めて4シーズン連続で指揮を執った井原
正巳監督率いるJ2の福岡は、残念ながら勝ち点70で6位の東京
Vに勝ち点1差及ばず7位で昇格POの出場権すら取れずに終わった。
実を言うと前記した3チームは今から20年前に行われたJ1参入
決定戦に出場したチームで福岡が生き残ったのに対し、当時J2
だった川崎と札幌がJ2に落ちたわけで皮肉にも落ちた2チームが
20年後に優勝したり上位に定着するまでになったのに福岡はJ2
暮らしと立場が完全に入れ替わってしまった。
93年に10チームでスタートしたJリーグは徐々にチーム数を増
やして行き、98年にはJ1参入プレーオフという名の入れ替え戦が
行われる事になった。
参加チームはJリーグの15位・市原、16位・札幌、17位・神戸
と18位・福岡にJFLから川崎の5チームが3枠をかけて戦う事にな
るのだが、Jリーグ最下位の福岡は川崎とホームの博多の森で1試
合のみ行われ勝ったチームと市原、札幌と神戸が準決勝を戦い敗
れたチーム同士がJリーグ残留をかけて戦うというもの。
そして博多の森で行われた初戦で福岡は先制され一旦追い付いた
ものの勝ち越され‘このまま敗退か’と思われた後半ロスタイムに
山下芳輝のゴールで追いつくと、延長Vゴール勝ちで福岡が勝ち抜
いて川崎が敗退となった。
この試合は福岡のサポーターから金子達仁のドキュメントの題名
‘神を見た夜’と呼ばれたのに対し、川崎のサポーターからは‘博多の
森の悲劇’と呼ばれる名勝負だった。
これで勢いに乗った福岡は市原には敗れたが最後の決定戦で札幌
相手にホームで1-0、アウェーで3-0で連勝して残留を果たす。
ただし本来なら奇跡的な内容で残留したのだから勢いが付きそう
なものだが福岡は残念ながらフロント陣の怠慢で翌年も残留争いに
巻き込まれる形になり、00年こそ12位と健闘したものの翌01年に
15位で遂にJ2に降格すると以後3回J1に昇格するが1シーズンでJ2
降格を繰り返している。
一方98年に福岡から敗れた川崎や札幌が活躍し福岡より予算規模
が小さかった鳥栖がJ1に昇格してから1度もJ2落ちしてない事を考え
ると、いかに福岡のフロントがチームの足を引っ張っているか分かる
のだ。
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