早いもので私が蒲田時代に働いていた店ヘアーサロン・ネモトの
OB&OG会が行われてから1ヶ月経つのだが、懇親会の席で11月
12日に先輩の花島和久さんが現代の名工を受賞した事が発表され
花束が贈呈されるなど祝賀ムードに花を添えた。
ネモトでのOB&OG会は今回で3回目になり過去2回は師匠と、
師匠の弟さんの還暦祝いだったのが今回は当初の予定になかった
花島さんの現代の名工受賞という素晴らしい報告があり僅か1週
間ではあるものの一緒に働いた私にとっても感無量だった。
今から30年前の3月20日いっぱいで6年間修業した福岡の店
を卒業後、24日から蒲田のネモトで働き出したのだが実は前年の
時点では中野区の店に行く予定が88年になって急遽ネモトの技術
者が3人辞めるため蒲田で働く事になり辞める1人が本店の店長
だった花島さんだった。
以前も記したように辞めるもう1人が福岡時代に店は別だったも
のの同期だったNクンで、彼が言うには花島さんはかなりの腕だと
の事だから翌25日から2日間見学という形で働いていたら仕事が
上手いだけでなくお客さんに接する雰囲気が独特なのだ。
26日から正式に仕事に入ったのだが終わった後にチェックを頼ん
でも‘お客さんがよかったらいいよ’というスタンスで、‘なかなか
上手いじゃん’と褒めてくれるのだから凄く嬉しかった。
残念ながら3月31日いっぱいで卒業という形で実家の佐倉に帰っ
たわけだが偉大さを実感するのはその後で、花島さんが担当してい
たお客さんが‘アイツはよぉ…’といったニュアンスではあるもの
の認めている感がありありだったし彼がやっていた通りの形で接客
すると大変な事になると痛感したのだった。
もっとも実家に戻ったとはいえdhkメンズカット科の講師だった
ので私もメンズカット科に行っていたから月に2回は顔を合わせて
いたのだが、7月頃に‘本店のメンズ売り上げ下がったんだって?
ダメだよオマエらがしっかりしなきゃ’とハッパをかけられたりも
していた。
その後89年の8月一杯で帰郷する事になったのだが北九州支局に
お世話になっている中で、91年10月に講師として来たのだが当時
の肩書は83年度のシャンプー日本チャンピオンという事だったか
ら私がシャンプーモデルになって講習終了後には福岡空港まで車で
送って行ったのも今ではいい思い出だ。
その後95年4月にJUHA総合チャンピオンになると10月に佐賀で
行われた全国大会のレディス部門で優勝するなど一気に有名になっ
たわけで、北九州にも度々講師として来てくれる毎に凄い肩書が付
いていたのだ。
本来なら同学年なので花島クンでいいはずだが、ついついサン付け
してしまうのは漂うオーラのせいだろうか。
それでも こんな凄い人と僅か1週間とはいえ一緒に働けたという
のは凄く光栄な事だと今でも思うのだ。