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こーじ苑
投手の聖域化に拘る事なかれ
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20200808-0226
8月6日に行われた甲子園でのタイガースージャイアンツ戦で大差
のリードを許したジャイアンツの原辰徳監督が、野手の増田大輝を
敗戦処理で登板させた一件で堀内恒夫や伊原春樹に広岡達朗らが反
対意見を主張して話題になっている中で江夏豊や江川卓らも反対の
立場を示していた。
ここで気になるのが江川の‘ピッチャーはピッチャーで、ずっと苦
しい思いをしてやっているので、野手が上って来るのには抵抗があ
る’というコメントを聞いて凄い違和感があった。
実は水島新司の野球マンガ・一球さんで精神的に脆い神宮大付の
エース五味漣次郎に対し兄の連太郎が‘ピッチャーは偉いのだ、ピッ
チャーが投げなければ試合が始まらない’と言って励ますシーンがあ
るのだが、こういったセリフにも昭和の野球観でピッチャーを聖域
視する傾向があるのは否めない。
確かに投手が投げなければ試合は始まらないし昭和の時代は特に
高校野球では最も身体能力の高い者が投手で4番も打つという大黒
柱的な存在だったので、現役時代最高の打者の1人だった落合博満
など監督になってからは‘打者は3割で成功だから’という理由から
打てなくても投手を中心にしたスタイルに邁進している。
しかし打撃のレベルが上がって来ただけでなく衛星放送などで
MLBの野球を常に見る事ができるようになった現在、過度に投手
に依存するスタイルでは勝てなくなっているし特にエースのフル
回転は否定的に語られる時代になっているのが現状だ。
疲弊したエースよりコンディションのいい控えの方が抑える事が
できるという合理的な考えが主流になっているのだが、堀内恒夫ら
昭和時代のエースは‘投手は先発完投が当たり前’という持論に支配さ
れているのが現状で沢村賞選考の時に完投が少ないと不満を漏らす
のが恒例行事になっている。
つまり堀内のようなタイプは試合の最初から最後までマウンド
を守るのが投手という考えの基で、分業制にも批判的だったから
‘リリーフというのは先発するに何かが足りないからやらされるも
ので本当に良かったら先発している’と解説で力説していたのだか
ら‘まして野手が’という思いなのだろう。
野手より投手の方が偉いという考えが根底にあるからこそ負け
試合でも、野手が投手の代わりに投げるという事に対して異常な
拒否反応を示すのだろうと思われる。
そういえばスワローズ監督時代の高田繁が得点力不足で辞任した
のを受けて監督に就任した小川淳司監督が本来1塁手の畠山和洋を
レフトで起用するなど思い切った手を打った事から、得点力が劇的
にアップし最大-19から+4まで盛り返したのだが高田氏は‘小川監
督の手腕は素晴らしいが畠山のレフトだけは絶対に私ならやらせな
い’と語っていた。
現役時代レフトの名手だった高田にとって打撃優先で守備に目を
つぶった起用法を許せなかったようで、92年にジャイアンツのヘッ
ドコーチに就任すると原辰徳をレフトからファーストにコンバート
しているのも同じ理由だろう。
だから堀内や江川に江夏らの思いも分からないではないが昨今の
野球界はMLBの情報や理論がどんどん入るので、チームの進化のた
めには昭和のセオリーに拘る必要はないというのが主流になってい
る時代に否定的な事を声高に叫ぶのは自らが時代の流れについてい
けてない事を世間一般に吹聴しているようなもの。
ちなみにアメリカや中南米では最も身体能力の高い者はショート
を志望し投手は最も下手な選手が務めるポジションという日本とは
正反対の感覚だからこそ、こういう思い切った事もできるわけで日
本がエースを神様扱いし投手という聖域を作っていると対照的だ。
だから高校野球の複数投手制に対する反対意見が多くなるのも無
理はないし、エースを酷使する元凶にもなっているのだから投手を
聖域化するのは卒業するべきではないかと思う。
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