デットマール・クラマー氏死去=「日本サッカーの父」―90歳
‘日本サッカーの父’といわれたデットマール・クラマー氏が
90歳で亡くなったというニュースが載っていた。
クラマー氏といえば4年後に五輪開催を控えた日本サッカー
協会が何としてもグループステージを突破するため60年に招聘
したコーチで、氏の徹底したコーチングのおかげで日本は東京
五輪でアルゼンチンに勝ってベスト8進出を決め68メキシコ五輪
での銅メダル獲得につなげたのだった。
‘私はスポーツのようなものを見た、それはサッカーに似て
いた’というコメントをクラマー氏は来日して最初に日本の
トップレベルの試合ぶりを見た時に残している。
つまりドリブルもパスもなく、ひたすらゴールに向けて
ボールを蹴り走り込む作戦や駆け引きもない体力だけを競
うゲームをしていたというのだ。
選手達を鍛える一方で当時は国内での合宿が日本旅館だった
にも拘わらず、クラマー氏は選手達と同じ旅館に寝泊りして
一緒に風呂に入り浴衣を着て慣れない手つきで箸を使いながら
食事をしていたという。
そして東京五輪が終わり任期切れとなって帰国する際には
‘レベルアップにはレベルの高い試合をたくさんこなすべき’
とトーナメント戦が主体だった日本サッカー界にリーグ戦の
重要性を説いて、これが日本スポーツ界初の日本リーグと
なるのだから氏の功績は計り知れないわけだ。
ボクシングのアルビン・カーンやエディ・タウンゼントらに
勝るとも劣らない外国人の名コーチだったという事になる。