ボクシングの絶対的価値観は

 最近ボクシングブログを見て回っていた中で太陽と月さんのボク
シングライフWというブログに辿り着いたわけだが、認定団体につ
いてWBA・WBC・IBF・WBOにIBOまで取り上げられており改めて
‘世界王者といってもこんなにいるのか’というのを実感した次第。

 そんな中で太陽と月さんの総括では世界王者が1階級1人だとい
うのは理想だが、そうなれば逆に好カードが減ってしまいレベル
の高い大きな試合を見られなくなってしまうというもの。

 確かに白井義男の時代は8階級だったのだが半年に1回指名試合
を戦うべしというルールを忠実に守っている一方で、それ以外の
試合はノンタイトル戦が多かった。

 つまりファイティング原田の時代でも防衛戦は1位を含めたラン
キング上位の選手が中心で、下位の選手とはノンタイトルで行う
のだからタイトルマッチは年に2回ぐらいというのが常識だったの
を考えると強豪同士の試合が見られない可能性は高くなる。

 プロボクシングは現実的に興行という側面もあるのだから強豪
同士で戦う時に世界王者同士で戦わせた方が箔も付くし、話題に
もなるのだから悪い話ではない。

 考えてみると悪名高い暫定王者やスーパー王者というのも、当
初は凄くありがたいものだった。

 暫定王者の場合は王者がケガや病気で防衛戦ができなくなった
場合に負けてもないのに王座剥奪というのは酷な話だし、スーパ
ー王者もタイトルを統一した場合に団体ごとに1位が違うと指名試
合不履行でタイトルを剥奪されるという事を避ける意味もあった。

 ところがコレを悪用すると同じクラスの同じ団体内に複数王者
が存在するというろくでもない事になり、世界王者は1人といった
理想論者からの批判を浴びる形になってしまうのが現状だ。

 そこで言えるのはボクシングで不変の価値観は世界タイトルを
何回防衛したかではなく、どんな強豪と戦ったかというもの。

 実際にWBCライト級タイトルを5度防衛したガッツ石松がハリウ
ッド映画ブラックレイン撮影中の合間に‘元世界王者’と言っても何
もリアクションがなかったのが‘ロベルト・デュランと戦った’と言
ったとたんに人が寄って来たというなどいい例だろう。

 ロンドン五輪ミドル級金メダリストの村田諒太が17年10月にWBA
ミドル級タイトルを奪取した時に‘自分より強い選手がいくらでもい
る’というコメントをしたのだが、カネロ・アルバレスやゲンナジー
・ゴロフキンといった強豪と対戦するのに世界王者という肩書なし
では絶対に無理。

 だからこそ世界王者になるというのは強豪達と戦えるパスポート
ともいえるわけだから、世界王者はゴールではなく強豪選手と戦え
る許可書という考えこそ重要ではないかと思う。

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