ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
斉藤仁が日本の牙城を守って20年
20年前の明日、88年9月30日はソウル五輪の柔道95㌔超級で前回の
金メダリストの斉藤仁が連覇すると共に日本柔道の最後の砦を守った
日である。
ソウル五輪の柔道は会場が反日ムード一色に覆われ、初日の60㌔級
から地元の韓国選手は当然の事ながら日本人の試合では対戦相手を
会場全体が太鼓やドラなどを使って応援するという異様なムード。
このムードに日本人選手は完全に飲まれた。
前年の世界選手権では無差別級以外では65㌔級の山本山本洋祐、
78㌔級の岡田弘隆、95㌔級の須貝等の3人が金メダルを獲得しており3人
とも出場していた。
初日の60㌔級では前回の金メダリストの細川伸二が Sファイナルで
微妙な判定で敗れて銅メダルに終わると、 2日目の65㌔級でも山本が
Sファイナルで逆転の一本負けを喫して銅メダル。
3日目の古賀稔彦は初戦で韓国人に勝ったが、2回戦で奥襟を取られて
得意の背負い投げを封じられて敗れメダルにすら届かず。
4日目は78㌔級で岡田弘隆が初戦でカウンターを狙って不可解な指導を
受けて最終的に警告まで行き、押え込まれて一本負けし古賀に続いて
メダルに届かず。
5日目の大迫明伸はQファイナルで前回の金メダリストのザイゼンバッハ
に敗れて銅メダルに終わると6日目の須貝までも初戦で敗れメダルに
届かず。
こうして銅メダル3個とファイナル進出すらできないまま最終日を迎える
事になった。
斉藤は痛めていた左ひざが完治せず得意の体落としのキレも今ひとつ
という状態。
初戦でセネガルのコーリーに勝つと、2回戦でもエジプトのラシュワンに
勝ちSファイナルでは3年前の世界選手権のファイナルで脇固めで肘を
脱臼させられた趙容徹と対戦。
鬼気迫る斉藤のプレッシャーに趙は防戦一方、趙の応援一色の異様な
ムードの中で遂に趙に指導が出て優勢勝ち。
ファイナルでも東ドイツのヘンリー・ストールを押しまくり優勢勝ちして
金メダルを獲得し、日本柔道最後の砦を守った。
膝の痛みに耐え‘まるで押し相撲’と酷評されながら日本勢
総崩れの中、最後の砦とキング・オブ・柔道の階級という
プレッシャーの中での金メダル獲得には大いに感動させられた。
今でも表彰台で大泣きしながら君が代を
歌っていたシーンは忘れられない。
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と、言っていたのが印象的でした。
会場全体で『君が代』を歌うという、それまでの抑圧された雰囲気を一挙に回天させてしまって、ちょっと小気味良かったですね。
もちろん、ワタシも泣きながら見ていた方ですが。
柔道のみならず他の競技でも日本へのブーイングはあったのでしょうか?
あったとしたらやりづらかったでしょうね…。
Hi-Fiというのに時代が感じられますね。
私も最後に君が代を聞いたときは‘見たか!’と
思いましたよ。
>K様
あとはバレーぐらいですか。
レスリングなどでは、そこまでなかったです。
ソウルまでは畳が会場に1つですから、観客全体の
目が集中していたというのもありますね。
静かな会場で審判の掛け声だけが響くムードでやり
馴れた日本人選手は、あの大声援に圧倒されたようです。