今から30年前の今日87年3月29日に大阪の守口市民体育館で
行なわれたWBAバンタム級王座決定戦で6位の六車卓也が2位の
アサエル・モランに5RKO勝ちしてタイトルを奪取した。
六車が挑戦予定だった王者ベルナルド・ピニャンゴが突如引退
したため急遽2位のモランとの決定戦になったわけで、異例づくめ
の世界戦だったが1Rから得意のラッシュを仕掛けて5Rで攻め落
としファイティング原田以来の世界バンタム級タイトルを奪取した。
バンタムといえばファイティング原田が68年2月にライオネル・
ローズに判定負けでタイトルを失って以来で、実に19年ぶりという
わけだから例え決定戦での奪取とはいえ大いに沸いた。
ライオネル・ローズには東京五輪の金メダリスト・桜井孝雄が
挑戦してダウンを奪いながら逆転判定負けを喫した後は金沢和良
が‘怪物’ルーベン・オリバレスに壮絶な打ち合いの末に力尽き、
村田英次郎はルペ・ピントールやジェフ・チャンドラーら名王者
と2度にわたって引き分けたもののタイトル奪取ならず。
沼田剛やワルインゲ中山に磯上修一やハリケーン・テルらの日本
王者達も牙城を崩せずにいた中だったし、特にWBAバンタムは村
田英次郎が3度挑んで悉く跳ね返された壁だっただけに個人的にも
大いに感慨深いものがあった。
残念ながら六車は約2ヵ月後に義務付けられていた1位の朴賛栄
との初防衛戦で挑戦者のバッティングでダウンしたダメージを引き
ずる形でTKO負けしタイトルを失ったのだが、それから4年後の
91年に六車の後輩である辰吉丈一郎が8戦目でタイトルを奪取し
以後は薬師寺保栄や長谷川穂積に山中慎介らがバンタム級王者とし
て名を連ねた。
81年にルペ・ピントールに挑戦し善戦しながらも15Rに力尽きた
ハリケーン・テルなど‘バンタム級は手が届かないと思っていた’
と語るぐらい遠い存在だったバンタム級タイトルだが、長谷川が10
度防衛すると山中慎介に至っては12回の防衛に成功しているわけで
団体増などによる王座乱立だからレベルが下がったという意見はあ
るものの昭和の時代にあった大きな壁は存在しなくなった。
それを考えると56日間でタイトルを失ったとはいえ壮大な壁と
思われていたバンタム級に風穴を開けた意義は今となっては大きい
と思えるし、願わくば村田亮太にミドルで同じく風穴を開ける存在
になって欲しいものだ。