‘ケンカ屋’ビリー ・マーチンが亡くなって20年

 今から20年前の現地時間89年12月25日に‘ケンカ屋’ と呼ばれた元NY
ヤンキース監督のビリー・マーチンが乗っていたトラックがアイスバーンで
横転する事故で亡くなった。

 享年61歳と早過ぎる死である。

  私にとってビリー・マーチンといえば77年・78年にNY ヤンキースが
Wシリーズ連覇を果たした時の監督というイメージが強い。
 75年にNYヤンキースの監督に就任し76年にWシリーズで ‘ビッグ・レッド
マシーン’と呼ばれたシンシナティに4 連敗して敗れたものの、77年にLA
ドジャースに4勝2敗で勝ちシリーズを制覇。

 特に優勝を決めたG6でのオークランドから移籍したレジー・ジャクソンの
3打席連続HRは圧巻だった。

 破壊力満点の一発攻勢と機動力をミックスした攻撃的なスタイルが特徴
で、ワガママと言われたレジー・ジャクソンらを上手くコントロールしていた
のだろうと思っていたら・・・・

 何とマーチン監督とジャクソンは犬猿の仲でケンカは日常茶飯事だった
らしいし、超ワンマンオーナーといわれたジョー・スタインブレーナーオーナー
とも しょっちゅうケンカして実に5回解雇され4回監督に復帰している。

 ちなみにマーチン監督の部屋に

 1:ボスは常に正しい

 2:ボスが間違っていると思ったら1を見よ

というスローガンが貼られていたらしい。

 このスローガンはスタインブレーナー・オーナーの部屋にも貼っていたらし
いので、これでは両者が犬猿の仲だったとしても当然だろう。

 とはいえスタインブレーナーはマーチンの訃報を聞いて
‘家族の 1人を失ったようだ’と悲しんだらしい。

やはりケンカするほど仲がいいという事だろうか。

 個性派の選手達とケンカを繰り返しながらも、チームをしっかりコントロール
していた名監督である。
 当時の主将だったサーマン・マンソンがオールスター休みを利用して自家
用機で自宅に帰ろうとしたときに木に接触する墜落事故で亡くなった一報を
河釣りの最中に報道陣から聞いたマーチン監督は

‘お前達の言う事は信じない、

マンソン自身が私に報告に来るまで待つ。

それがヤンキースだ’

釣竿を持つ手を震わせながら応えたという。

 マーチン監督とは殴り合い寸前の口論をした事もあるマンソンだが、ここ
まで素晴らしい信頼関係を構築していたわけだ。 

 現役時代から付けていた背番号1が永久欠番に指定されていたのも頷ける。

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