今から40年前の今日79年7月14日は高1だった私が、高校
野球福岡県予選を経験した日である。
私が入部した時の上学年は3年が3人、2年が7人なのに対して
1年は夏の大会までに12人が残っていたわけで私は記録員という
形でベンチ入りした。
この頃は7月の第2週末に開幕していたので7月14日が開幕日
だったわけだが球場はサブ球場の桃園球場での2試合目だったので
黒崎まで電車で行き、そこから路面電車で桃園公園駅に到着してか
ら球場入りする。
対戦相手は筑豊工で4月の公式戦でウチがコールド負けした飯塚
をコールドで勝っている強敵で、この年度の西田川は2勝しかして
なかった事もあり正直言って‘コールド負けしなければ’という雰
囲気だった。
第1試合にはシード校の折尾と八幡西(現・自由が丘)が対戦し
八幡西はブラバンを含めた全校応援で、いかにも夏の甲子園予選と
いうムードがあったが第1試合が終わると筑豊勢同士という事もあ
って観客がガタ減り。
1回裏に早々と先制されるが2回表に、5番のキャプテンでエー
ス・Tさんが3ベースと送球エラーで還り追い付く。
ところが2回&3回裏に2点づつ奪われ3回を終わって1-5と
リードを許すとコチラの攻撃は4回に四球で出た3番が4番のヒッ
トで3塁に進み悪送球で一気にホームを突くもののタッチアウトと
なり、なおも1アウト3塁で5番の外野フライで3塁ランナーが再
びホームを突くがコチラもアウトとチグハグな攻撃。
そのうちに6回に‘次の1点’を取られて1-6のまま最終回を
迎えるのだが、監督が‘1点でも返して来い’の言葉に奮起したの
か先頭の6番の2ベースから四球と相手エラーでノーアウト満塁と
なり唯一の1年である日蓮君に回る。
この日の日蓮君はノーヒットだったから監督は控えに回っていた
2年のAさんを代打に起用を打診するのだがAさんは数日前に行わ
れたクラスマッチの卓球で手首を傷めており躊躇していたため、監
督は日蓮君をそのまま打たせると1塁線を破る走者一掃の3ベース
になったばかりか送球エラーで一気に還って5-6と1点差。
こうなると流れは西田川に来て1番&3番のヒットで1・3塁から
Wスチールを決めて遂に追い付くのだが、なおも2アウト満塁と攻
め立てるものの7番が遊ゴロに倒れて勝ち越せず。
その裏1アウト満塁のピンチでレフトへの浅めのフライで、3塁
ランナーが還り6-7のサヨナラ負けとなった。
正直言って自力の差はあったし今シーズンのチーム戦績からする
とコールド負けもありえると思っていただけに最終回を迎えた時点
で1-6は善戦といえたし、ましてや1度は追い付いたのだから大
健闘と言ってよかったと思う。
この年度から部長に就任した先生も‘いやぁ~すばらしかった、
感動した。やはり夏の予選はすばらしい’と言いながら地元に戻っ
たら打ち上げをする事にして部長&監督は女子マネ達と車で、我々
選手達は電車とバスを乗り継いで帰ったのだが帰りのバスは貸し切
り状態だったのでワイワイはしゃぎながらの楽しい雰囲気だった。
残念だったのは地元に戻って打ち上げ会場に着いた時には19:45
だったので、オーダーストップが20:00だった事から部長が‘遅い
から打ち上げは日を改めて’という事で解散となったのだが2度と
打ち上げの話は出ずに40年経っている。