「短歌研究」9月号は、各種短歌賞の発表がメインでした。それとは別に特別対談がありましたので、この方に注目して読みました。 . . . 本文を読む
短歌を詠む場合しばしば見かけるのは表現したい事はあるのに「言葉が見つからない」という場面に遭遇することです。つまり語彙(ボキャブラリー)が不足しているのです。今回の角川「短歌」の特集はこれに見合ったものでした。 . . . 本文を読む
8月。この月は日本にとって特別な時でしょう。言わず8月15日は「終戦の日」です。アジア太平洋戦争の終結の日です。日本人だけで310万人、アジアの諸民族では2000万から3000万人が犠牲になった大きな戦争でした。この戦争と短歌とは分かちがたい関係にあります。そう考えながら、この特集を読みました。 . . . 本文を読む
「短歌研究」7月号には「震災詠を考える」が再録されました。2012年4月1日に仙台文学館で行われたシンポジウムでした。東京で発行される総合誌に紹介されるのは、おそらく初めてでしょう。 . . . 本文を読む
作歌に際して、時折「スランプ」を感じる方が以外と多いようです。ですが短歌の素材は、生活している人間の身の回りに、たくさん有る筈です。このような「悩める人」にとっては、大変役立つ今回の特集でした。 . . . 本文を読む
2011年の東日本大震災ほど日本人が「生と死」を考えるきっかけとなるものは、近年なかったでしょう。祈りに似た思いが日本各地で語られています。歌人はなにをどのように詠うのか。それが議論にもなって来ました。けれど事実の大きさと、事実の羅列になりやすいこともあって、なかなか「何をどのように」ということが明らかにならないと僕は思っています。短歌の「挽歌」という形式と伝統が、その答えの鍵のなるような気がします . . . 本文を読む
「短歌研究」6月号の特集は「石川啄木」でした。6人の歌人が論考を書き、14人の歌人が一首鑑賞をエッセイ風に書いています。このうち嵯峨直樹(未来)と山田航(かばん)の論考に注目しました。 . . . 本文を読む
「短歌研究」5月号の特集は、102人の男性歌人作品集。そのうち50人が短いエッセイを書いています。テーマは「記録する文学としての短歌」。震災詠を詠む人、詠まない人がいますが、過去の「記録詠」とエッセイに注目しました。・・・ . . . 本文を読む
アンソロジーは詞華集とも言い。複数の歌人の作品を集めた歌集です。例えば、「現代短歌秀歌100人」などというものがあります。僕の家にもアンソロジーが何冊かありますが、みなコンセプトが違います。何人の歌人を選ぶか、誰が選ぶか。問題があります。アンソロジーは広く読まれるものですから、アンソロジーに載った歌人の歌は残るものです。逆にいうと、アンソロジーに載らない歌人の名も作品も残らないことになります。さまざま問題があるようですが。 . . . 本文を読む
1000年に一度と言われる東日本大震災。以前、総合誌に「安保はどう詠まれたか」といった企画がありましたが、さしずめ今回は「震災はどう詠まれたか」でしょう。しかしそこには自ずから違いがあるもので・・・。 . . . 本文を読む
「短歌研究」2月号の特集は「春待つ心」「相聞・如月によせて」「シンポジウム再録・今、読み直す戦後短歌Ⅳ前衛前夜」。しかし目次に出ない「特集」があったように思いました。それは・・・ . . . 本文を読む
「(現代の詩に必要なのは)自然に目を向けることだ」と提言したのは、吉本隆明。岡井隆は「近代に目をむけよ」と言いますが、「短歌」2月号はまさにそういう構成になっていました。5人の論者がさまざまな角度から論じ、1人が「近現代の自然詠」を。また「若手歌人による近代短歌研究」の企画がありました。・・・ . . . 本文を読む