Sakana no Sanaka

沖縄本島テキスト系ダイバーの一考察

アフリカ生まれの侍(セボシウミタケハゼ)

2018-01-19 19:53:14 | ハゼ科

一日中雨交じりの空模様だった本日のやんばるです。

厳しい寒さ…というほどの気温ではありませんでしたけど、陽光がないと体感が…。

明日も雨のようですが、海は気持ちよく凪いでます。

風は北東。雨。

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愛知県にある歴史博物館には、信長のデスマスクだと伝わるものが展示されているのだとか。

僕のイメージの中では、信長の最後は燃えさかる本能寺で炎に飲み込まれていく…、みたいな感じなのですが…。

今まで見た映画やドラマが、大抵そんな感じでしたから。もちろんこのデスマスクが、本当に信長のものかどうかははっきりしていません。

それはともかく、このデスマスクは弥助という家臣が持ち出した信長の首から作られたとされているのだそう。

この弥助は〈本能寺の変〉の際に本能寺に宿泊していて、明智軍と戦い生き残ったようなのですが、その後の消息は不明なのだとか。彼は信長に取り立てられた士分、すなわち正式な武士の身分だったのですが、アフリカ出身の黒人だったのだそう。

戦国時代に、海外出身力士ならぬ海外出身侍がいたとは知りませんでした。

しかもこの時代、日本に渡来した黒人は実は大勢いたと考えられているのだとかで、さらにびっくり。

そうそう、弥助の出身地はアフリカのモザンビーク島なのだそうです。

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さて…

〈ハゼ科ハゼ亜科ウミショウブハゼ属セボシウミタケハゼ Pleuroicya mossambica 17年12月7日 沖縄島安和〉

学名種小名は『モザンビークの』の意。

弥助は、最終的に故郷に戻って日本の文化を伝えたのではないかと推測されたりもしていますが、それを証明する証拠は見つかっていません。

 

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