3月9日ソワレの観劇記です。文学座といえばこの演目
この演目といえば杉村春子さん
じいは今回初めて観たのですが、特に2幕、、、杉村さん演じるおけいさんに出会っていたとしたら、きっとその迫力に圧倒されただろうなぁ~と実際にこの演目に触れて実感したことです。しか~し
今回は全体的に思いっきり若返りになっていましたが(爆!)皆さんとても素晴らしくて
布引けいを演じた荘田由紀さん、もの凄い注目とプレッシャーがあったと思います。確かに後半は年を重ねないと出てこない感性であったり雰囲気であったり、そういうものが足りない気はしましたが(そういうじいも大人過ぎる内容に関しては本当の意味では理解できる年齢じゃないと思うんだけど
)所作であったり振る舞いであったりセリフの表現力であったり、そういうところが素晴らしくて大健闘だったと思いました
あらすじはこちら。
明治38年(1905年)、日本がようやく近代的な資本主義国家となり始めた頃、天涯孤独の境涯にあった<布引けい>は、不思議な縁から拾われて堤家の人となった。清国との貿易で一家を成した堤家は、その当主もすでになく、息子たちはまだ若く、 <しず>が義弟章介とともに困難な時代を生きていた。やがて<けい>は、その闊達な気性を見込まれ、長男伸太郎の妻となる。次男栄二に寄せた思慕は断ち切られ、<けい>は正真正銘、堤家の人となる。
やがて時は流れて……。(公式サイトより)
物語は布引けいの一代記ですね~~堤家が携わっている中国との貿易の家業は、しずに見込まれたように、けいが一手に担うことになり、後を継いだ伸太郎は商売よりも芸術文化の方に目を向け、やがては別居生活へ……伸太郎は教師となる。娘の千恵もけいとはそりが合わずに伸太郎と暮らすようになり、栄二は中国に渡った後に共産党と関わるようになり、帰国後に特高に捕まり投獄。特高に引き渡したのはけいだった。やがて周りの人たちは死別したり疎遠になったりでけいは一人ぼっちになる。戦争によって家財を全て失ったところに出所した栄二が訪ねてきて昔を振り返るところで終了~~決してハッピーエンドな話ではないけど、凄く深くて面白い作品だな~と思いました。けいが最後に「自分はこんな生き方しかできなかったけど、これからの人たちは自分らしい生き方ができる」みたいな内容のセリフを言うんですが、けいの生涯は決して昔に限定するものではないと思います。時代背景や社会制度は違ったとしても、現代を生きる誰にでも当てはまる“女の一生”もとい“人の一生”だと思うんです。誰かに翻弄されているように見えても、自分ではどうにもできない環境だとしても、それでも「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んだ道ですもの。」と生きていかなければならないこと
最後に振り返った時に「もしあの時…」とか「もっとこうやっていたら」とか思うことがあるけど、それも含めて生きてきた人生を受け止められる……それが人が生きるってことなのかもしれないな~と感じました。
いや~~正直、観る前は危惧してたところがあったんです。じいの勝手な偏見
明治座とかで演じられるような昔ながらのお茶の間芝居だったらどうしよう?とか、そういうザ・お芝居には欠かせない
○田脚本の○田ファミリーちっくな演目だったらダメかも~~とか、今考えたら超失礼なことを思っていたわけで
もう~~そんなものを思い出すなんて失礼にも程があるって感じだわ、、、本当によく出来た作品だと思いました。決して所帯染みたお芝居じゃない、人間というものがちゃんと描かれていて、しかも良い部分だけを書いているわけではない。どのキャラクターにも欠けた部分があって、その欠けた部分は本人が原因のところもあれば、時代や家庭環境がそうさせてきたところがあって、もう少し素直になっていれば、自分の気持ちを伝えていれば良い方向にいったかもしれないのに…と、これは今の自由な時代を生きる立場から言っている一方的な見方だとは思うのですが
傍から見ているともどかしかったり切なかったりするので、その欠落したところも何となく心を寄り添わせたいと思ってしまうという。。。
ただ、一番大きかったのはやっぱり“家”なんだと思いましたね~~しずがけいに縁談の話をする時に「一人の願いはあるが、全体の願いがある」だったかな?スミマセン
うろ覚えなんですけど、よーするに個としての気持ちを認めた上で家のため、周りの人のために生きるのも大事
みたいな内容なんですけど、それによっていろいろなものが変化していくわけなのよね。もし、けいの願い通りに栄二と一緒になっていたとしたらあんなにきっつ~い性格にならなかった?とも言えないと思うけど
でもね~~2幕で栄二の身柄を警察に渡したところ。そこに憎しみ、強がり、女主人としての責任、未練、意識or無意識の思い全部をひっくるめていろんな思いがあるからこそなんだろうな~と感じました。もともと慈しみあう静かな思慕というよりは憎まれ口をたたき合うような、まさに「闊達な」関係の二人だったわけで←1幕の出会った頃を見てて感じたの
だからこそどことなく甘酸っぱくて切ない感じもあったり
それに、、、伸太郎だって決して悪い人じゃない。ただ運命づけられたものと器が合わなかっただけ。こういう話は同時代の小説等々でも見られるキャラクターですが、それこそ次男に後を継がせて……と、そういうわけにはいかない…か
けいが伸太郎との縁談を受けて、栄二から貰った赤いくしを折って庭に投げ捨てるんですけど、それを伯父の章介が拾ってけいの本当の気持ちを知ることになる。でも黙ってるんですわ、、、堤家の将来を思って
2幕でそれを告白する場面があるんですが、これだって黙ってなければね~~なんちゃって
何となく、、、もしかしたら最後までけいの傍を離れなかったのは懺悔の気持ちでもあったのか
ただ、分からなかった部分も結構あったり
長く別居していた伸太郎とけいが語らう場面。けいが初めて
素直に伸太郎に向き合って「一緒に暮らしませんか?」と言い、伸太郎も「自分の居場所はあるのか?君の気持ちは含んでおくよ」と前向きに……まぁその後帰り際に倒れてそのまま死んでしまうわけですが、どんな形であれ長年連れ添った夫婦の機微というのかな~~両親やその世代の夫婦から第三者的には分かる気はしても本当の意味ではまだ分かんないな~という感じかな。あと、最後の場面で栄二に伸太郎が最後に自分の元に戻ってきたこと、自分の手を握って逝ったこと、その後に栄二と人生を振り返るかのようにワルツを踊る……ちょっとウルッ
ときたのよね~~何を思ったのかは分からないんだけど、もしかしたら母のことを思い出したのかもしれないし(別居してませんよ
)人生って何ぞや?というところを重ね合わせたのかもしれない。う~~ん、難しいわ
実は、、、珍しく
普段はそういう観方はしないんだけど~という
で観てたところあり。この演目って文学座研究所で行われる授業の必須演目……ってことはもちろん内野さんも経験されているわけで。パンフに「開設50年記念アンケート」として当時の配役と研究生時代を一言で表現すると?という項目に座員の方々の回答が掲載されています。座員の方々が持っている共通の思い出……これについては心に沁みる話を聞いたことがあって感動しちゃったこともあったり……そんなこんなをひっくるめて、こんな凄い演目で学ばれている方々、そりゃあ素晴らしいのは当然よね
と納得しちゃいましたわ。何層にも重なったり混ぜ込んだりした人物の内面、所作、セリフ、、、全てが素材として素晴らしい……と、実はね~~そこで思いっきり引き込まれちゃったのよ~~瀬戸口さん演じる伸太郎に
何もかもが素晴らしくて圧倒されちゃったの
上手く言葉にできないのがもどかしいんだけど、、、伸太郎の中にある理知的な部分を見事に演じられていて夢中になって観てました。ほっっんと良かったわ
いや~~まさにこの演目、文学座の財産。良い観劇経験をさせてもらいました