4月5日ソワレの観劇記です。注ネタバレ!
初日に続いて2連ちゃんの観劇。贅沢な愚痴だとは分かっているのですが初日の前からしんどいなぁ~と思っていたのはホント(苦笑)でも這ってでも行かないといけなかったんです~~スペシャル観劇だったので
最前列どセンター 目の前であんなこと こんなこと 確かにそうなんですけどね 他の舞台でも言えることなのですが、視線や空気感が頭上を飛び越してしまうので純粋に観劇の距離感としてはどうなんだろうと思ってみたり……あと、前すぎて1階部分にセットがあると2階部分は見にくいです。エルクラーノが警察署長に詰め寄るシーンや医者とやり取りするシーンなどは頭の上部分がやっとこさ見えるような時も!でも細かい表情は本当によく見えるので、なるほどなぁと納得できることも多々(一度最後まで観ているせいもあるけど)。それに、、、愛の対象がいる舞台ならかぶりつきは最高です あれこれ頭をフル回転して考えながら観ていたつもりですが、ボーっとなっているうちに終わっていた感もあり 至福の2時間40分でした
2回目の観劇ということで少し気持ちにゆとりを持って観られた感じかな~~初日よりはドキドキしませんでした 寧ろかぶりつきということで萌えツボを思いっきり堪能。エルクラーノがキスする時の頬のセクシーさ、ジェニーの背中に回された手が!手が!!手フェチなじいには最高のショット あとね~~最初に観た時から好きだったのが雨の日にエルクラーノがジェニーとの結婚を決意……したんだかどうだか薄情な一面 も見せるところもあったのですが、その時の二人の掛け合いが堪らなかったんですよね~~敬虔な生き方から枠を取っ払うことができないエルクラーノの不器用さ、情けなさとジェニーの自由奔放さが犇めき合う。手順を踏もうと踏むまいとやることは同じ、、、よーするに好きなのか、それなら結婚するのか、よーするに“やりたいのかやりたくないのか”ってことなんですよね ジェニーがエルクラーノに対して押したり引いたり……そういうところが全て女の本音でとにかくスカーッとして気持ちがいい なーんかジェニーに代弁してもらっているようで心の中でケタケタ笑いながらニンマリ ←変な意味はないよっ(笑)
ジェニーがエルクラーノの前で跪いて靴にキスをするところ、その逆パターンの場面、そしてセルジーニョに跪くジェニー、、、初日の時からずっと引っかかっていたんですよね~~今回はしっかりと頭に浮かびました、新約聖書に出てくる罪深き女とマグダラのマリア。両者は今は別人とされているけど戯曲が書かれた当時はまだまだそういうのは一般的な見方ではなかった時代かなぁ~~そこら辺は曖昧ですが ただ、どちらにしてもキリスト教の社会では女性に対する見方、価値観を象徴する存在としてアレコレ説かれるんですよね。そういう視点から見ていくとかなり辛辣な描き方だなぁ~と思ってしまいました。罪→娼婦という説を取るなら尚更というか、もしかしてキリストや神への侮辱罪?みたいな(苦笑)しかも、跪く対象がエルクラーノだったりセルジーニョだったり……特にセルジーニョの場合は最終的に行ってしまうのがボリビア人の男性 2幕で語られるその男性のプロフィール、、、どうやら聖歌隊で歌を歌っていたとか まぁね~~教会の中で繰り広げられるあんなこと、こんなこと まぁ宗教や国、文化の古今東西を問わず時々表立ったスキャンダルにもなっていますが……何だか全てが皮肉に見えてしまって逆に可笑しくなってしまいました
それでセルジーニョね……ツッコミどころ満載というか「母さんはおばさんたちのように処女のまま死んだ方が良かったんだ」ってサラッとかなり地雷を踏むようなことを言っていたりするのですが、それならアンタは生まれんだろ と思いましたが。でもこれってマリア(聖母の方ね)の処女懐胎をネタにしてる?と思ったのですが、まぁこれも性に通じるいろんな見方ができて面白いなぁと。。。
あと印象的だったのが「忘れる」ことの矛盾。1幕では妻のことを「忘れることは罪だ」と3人のおばとセルジーニョがエルクラーノを咎めるんだけど、2幕でセルジーニョが刑務所で強姦されたこと、ジェニーが娼婦だったことを「忘れること、いや元々そんなことはなかった」と言うんですよね。ずいぶん都合がいいなぁと斜めに笑ってしまいましたが、でもどちらも間違いであり間違いではないところがあるんですよね~~忘れることで救われることもあれば忘れないことで傷つけてしまう、その逆も然り。生きるというのは何とも皮肉に思えてきたり……うーむ
どうしても宗教的な要素に目が行ってしまうのですが でもね~~イマイチよく分からないままのこともあるんですよね。突然ジェニーが元の売春宿に戻ると言い出したり、刑務所での一件があってエルクラーノがジェニーに出ていけと言うのにジェニーは残ると言い張ったり……あとは(パトリーシオの企みとセルジーニョの複雑な心模様は裏にあるんだけど)性に溺れたエルクラーノが突然セルジーニョによって改心 して清らかになるとか……深く考えなくてもいいのかもしれないけど展開が唐突すぎて頭に?を浮かべたまま進まないといけないところが……次回への課題デス
初日に続いて2連ちゃんの観劇。贅沢な愚痴だとは分かっているのですが初日の前からしんどいなぁ~と思っていたのはホント(苦笑)でも這ってでも行かないといけなかったんです~~スペシャル観劇だったので
最前列どセンター 目の前であんなこと こんなこと 確かにそうなんですけどね 他の舞台でも言えることなのですが、視線や空気感が頭上を飛び越してしまうので純粋に観劇の距離感としてはどうなんだろうと思ってみたり……あと、前すぎて1階部分にセットがあると2階部分は見にくいです。エルクラーノが警察署長に詰め寄るシーンや医者とやり取りするシーンなどは頭の上部分がやっとこさ見えるような時も!でも細かい表情は本当によく見えるので、なるほどなぁと納得できることも多々(一度最後まで観ているせいもあるけど)。それに、、、愛の対象がいる舞台ならかぶりつきは最高です あれこれ頭をフル回転して考えながら観ていたつもりですが、ボーっとなっているうちに終わっていた感もあり 至福の2時間40分でした
2回目の観劇ということで少し気持ちにゆとりを持って観られた感じかな~~初日よりはドキドキしませんでした 寧ろかぶりつきということで萌えツボを思いっきり堪能。エルクラーノがキスする時の頬のセクシーさ、ジェニーの背中に回された手が!手が!!手フェチなじいには最高のショット あとね~~最初に観た時から好きだったのが雨の日にエルクラーノがジェニーとの結婚を決意……したんだかどうだか薄情な一面 も見せるところもあったのですが、その時の二人の掛け合いが堪らなかったんですよね~~敬虔な生き方から枠を取っ払うことができないエルクラーノの不器用さ、情けなさとジェニーの自由奔放さが犇めき合う。手順を踏もうと踏むまいとやることは同じ、、、よーするに好きなのか、それなら結婚するのか、よーするに“やりたいのかやりたくないのか”ってことなんですよね ジェニーがエルクラーノに対して押したり引いたり……そういうところが全て女の本音でとにかくスカーッとして気持ちがいい なーんかジェニーに代弁してもらっているようで心の中でケタケタ笑いながらニンマリ ←変な意味はないよっ(笑)
ジェニーがエルクラーノの前で跪いて靴にキスをするところ、その逆パターンの場面、そしてセルジーニョに跪くジェニー、、、初日の時からずっと引っかかっていたんですよね~~今回はしっかりと頭に浮かびました、新約聖書に出てくる罪深き女とマグダラのマリア。両者は今は別人とされているけど戯曲が書かれた当時はまだまだそういうのは一般的な見方ではなかった時代かなぁ~~そこら辺は曖昧ですが ただ、どちらにしてもキリスト教の社会では女性に対する見方、価値観を象徴する存在としてアレコレ説かれるんですよね。そういう視点から見ていくとかなり辛辣な描き方だなぁ~と思ってしまいました。罪→娼婦という説を取るなら尚更というか、もしかしてキリストや神への侮辱罪?みたいな(苦笑)しかも、跪く対象がエルクラーノだったりセルジーニョだったり……特にセルジーニョの場合は最終的に行ってしまうのがボリビア人の男性 2幕で語られるその男性のプロフィール、、、どうやら聖歌隊で歌を歌っていたとか まぁね~~教会の中で繰り広げられるあんなこと、こんなこと まぁ宗教や国、文化の古今東西を問わず時々表立ったスキャンダルにもなっていますが……何だか全てが皮肉に見えてしまって逆に可笑しくなってしまいました
それでセルジーニョね……ツッコミどころ満載というか「母さんはおばさんたちのように処女のまま死んだ方が良かったんだ」ってサラッとかなり地雷を踏むようなことを言っていたりするのですが、それならアンタは生まれんだろ と思いましたが。でもこれってマリア(聖母の方ね)の処女懐胎をネタにしてる?と思ったのですが、まぁこれも性に通じるいろんな見方ができて面白いなぁと。。。
あと印象的だったのが「忘れる」ことの矛盾。1幕では妻のことを「忘れることは罪だ」と3人のおばとセルジーニョがエルクラーノを咎めるんだけど、2幕でセルジーニョが刑務所で強姦されたこと、ジェニーが娼婦だったことを「忘れること、いや元々そんなことはなかった」と言うんですよね。ずいぶん都合がいいなぁと斜めに笑ってしまいましたが、でもどちらも間違いであり間違いではないところがあるんですよね~~忘れることで救われることもあれば忘れないことで傷つけてしまう、その逆も然り。生きるというのは何とも皮肉に思えてきたり……うーむ
どうしても宗教的な要素に目が行ってしまうのですが でもね~~イマイチよく分からないままのこともあるんですよね。突然ジェニーが元の売春宿に戻ると言い出したり、刑務所での一件があってエルクラーノがジェニーに出ていけと言うのにジェニーは残ると言い張ったり……あとは(パトリーシオの企みとセルジーニョの複雑な心模様は裏にあるんだけど)性に溺れたエルクラーノが突然セルジーニョによって改心 して清らかになるとか……深く考えなくてもいいのかもしれないけど展開が唐突すぎて頭に?を浮かべたまま進まないといけないところが……次回への課題デス