内村鑑三「後世への最大遺物・デンマルク国の話」岩波文庫(1976)を読んだ。
お馴染みの神保町にて、小宮山書店のワゴンセールで100円だった。
我ながら、いい100円の使い方だと自画自賛。
自分が買ったのは1976年版ですが、つい最近の2011/9/17に改訂版が出たんですね。
最近、本屋でちょこちょこ見てたので、その残像のおかげで野ざらしのワゴンの中から救出できました。
本であろうとも、きっと屋根つきの空間で夢を見て眠りたいものだと思いますし。
==============
<内容紹介>
普通の人間にとって実践可能な人生の真の生き方とは何か。
明治27年夏期学校における講演「後世への最大遺物」は、人生最大のこの根本問題について熱っぽく語りかける
「何人にも遺し得る最大遺物 -それは高尚なる生涯である」と。
==============
この本は二つの講演からなります。
「後世への最大遺物」と「デンマルク国の話」。
■後世への最大遺物
「後世への最大遺物」では、内村鑑三が後世に残すべきものはなんぞや、というテーマで話をしている。
それは『高尚なる生涯である』と語る。
勇ましく、勇気を持って。
尊く、気高く、誇りを持って。
卑下せずに高尚な自分自身の人生を生きていくこと。
そういう生きざまそのものが、次の世代へと多大なインスピレーションを与え、次の時代につながっていく遺すべきものだと説いている。
有名であるとか、裕福であるとか、認められるとか、・・・・そういうことではなくて、自分の生きざまに誇りを持って尊い精神で生きていくこと。そういう人生の軌跡そのものを夜空の星空のように残すことを訴える。
本を読んでいると、自分もそういう内村鑑三の深い信仰心に基づく生きざまそのものに影響を受け、インスピレーションを受けます。
「インスピレーション」を受けるというのは、
Inspiration=in(中へ)+spiro(「息をする」:spiritの語源)
息を吹きかけ、生命を吹き込み、Spiritを吹き込む。
このことを駿台予備校時代に習って、とても面白いなと思ったのを思い出す。
僕らは何ものかにSpirtを注入されて、それを「Inspirationを受けた」と表現する。
そういうInspireされるものを、内村鑑三という稀有な人物からは感じます。
⇒『代表的日本人』内村鑑三(2009-04-02)の感想も書いたことあるのを思い出した。もう2年前かぁ。
後世に残したいもの。
それはそんなに難しいことではない。
お金でもない。モノでもない。
そんなことより、自分自身が勇気を持って、尊く、気高く、誇りを持ってこの人生を生きていくこと。
単にそれだけです。
そんな簡単なことが次の世代へのSpiritとして伝わっていく。
ひとに優しくすること、親切にすること。一生懸命真面目にやること。
それは『われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして』と願いながら、あの世へと往くのと同じです。
自分も、ほんの1mmだけでいいから、少しだけこの世界を良い方向に向けてこの人生を全うしたいな、と思います。
--------------------------
『私にここに一つの希望がある。
この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。
すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。
ドウゾ私は死んでから天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。
それで何も必ずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。
すなわち、英語でいうMementoを残したいのである。』
--------------------------
『有名なる天文学者ハーシェルが20歳ばかりのときに彼の友人に語って
「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
というた。実に美しい青年の希望ではありませんか。』
--------------------------
『後世へ遺すべき物は、お金、事業、思想もあるが、誰にでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる生涯である。』
--------------------------
『高尚なる勇ましい生涯とはなんであるかというと、
この世の中はけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。』
--------------------------
『それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。
邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。
とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。
われわれが神の恩恵を受け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。
われわれが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。』
--------------------------
『他の人の行くことを嫌うところへ行き、他の人が嫌がることをなし、種々の不幸に打ち勝つことで大事業というものができる。』
--------------------------
『われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。(拍手喝采)』
--------------------------
おまけ。
「デンマルク国の話」より引用。
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『国は戦争に負けても滅びません。実に戦争に勝って滅びた国は歴史上けっして少なくないのであります。
国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。
善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。
否、その正反対が事実であります。
牢固たる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興します。
デンマークは実にその善き実例であります。』
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お馴染みの神保町にて、小宮山書店のワゴンセールで100円だった。
我ながら、いい100円の使い方だと自画自賛。
自分が買ったのは1976年版ですが、つい最近の2011/9/17に改訂版が出たんですね。
最近、本屋でちょこちょこ見てたので、その残像のおかげで野ざらしのワゴンの中から救出できました。
本であろうとも、きっと屋根つきの空間で夢を見て眠りたいものだと思いますし。
==============
<内容紹介>
普通の人間にとって実践可能な人生の真の生き方とは何か。
明治27年夏期学校における講演「後世への最大遺物」は、人生最大のこの根本問題について熱っぽく語りかける
「何人にも遺し得る最大遺物 -それは高尚なる生涯である」と。
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この本は二つの講演からなります。
「後世への最大遺物」と「デンマルク国の話」。
■後世への最大遺物
「後世への最大遺物」では、内村鑑三が後世に残すべきものはなんぞや、というテーマで話をしている。
それは『高尚なる生涯である』と語る。
勇ましく、勇気を持って。
尊く、気高く、誇りを持って。
卑下せずに高尚な自分自身の人生を生きていくこと。
そういう生きざまそのものが、次の世代へと多大なインスピレーションを与え、次の時代につながっていく遺すべきものだと説いている。
有名であるとか、裕福であるとか、認められるとか、・・・・そういうことではなくて、自分の生きざまに誇りを持って尊い精神で生きていくこと。そういう人生の軌跡そのものを夜空の星空のように残すことを訴える。
本を読んでいると、自分もそういう内村鑑三の深い信仰心に基づく生きざまそのものに影響を受け、インスピレーションを受けます。
「インスピレーション」を受けるというのは、
Inspiration=in(中へ)+spiro(「息をする」:spiritの語源)
息を吹きかけ、生命を吹き込み、Spiritを吹き込む。
このことを駿台予備校時代に習って、とても面白いなと思ったのを思い出す。
僕らは何ものかにSpirtを注入されて、それを「Inspirationを受けた」と表現する。
そういうInspireされるものを、内村鑑三という稀有な人物からは感じます。
⇒『代表的日本人』内村鑑三(2009-04-02)の感想も書いたことあるのを思い出した。もう2年前かぁ。
後世に残したいもの。
それはそんなに難しいことではない。
お金でもない。モノでもない。
そんなことより、自分自身が勇気を持って、尊く、気高く、誇りを持ってこの人生を生きていくこと。
単にそれだけです。
そんな簡単なことが次の世代へのSpiritとして伝わっていく。
ひとに優しくすること、親切にすること。一生懸命真面目にやること。
それは『われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして』と願いながら、あの世へと往くのと同じです。
自分も、ほんの1mmだけでいいから、少しだけこの世界を良い方向に向けてこの人生を全うしたいな、と思います。
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『私にここに一つの希望がある。
この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。
すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。
ドウゾ私は死んでから天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。
それで何も必ずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。
すなわち、英語でいうMementoを残したいのである。』
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『有名なる天文学者ハーシェルが20歳ばかりのときに彼の友人に語って
「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
というた。実に美しい青年の希望ではありませんか。』
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『後世へ遺すべき物は、お金、事業、思想もあるが、誰にでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる生涯である。』
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『高尚なる勇ましい生涯とはなんであるかというと、
この世の中はけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。』
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『それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。
邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。
とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。
われわれが神の恩恵を受け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。
われわれが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。』
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『他の人の行くことを嫌うところへ行き、他の人が嫌がることをなし、種々の不幸に打ち勝つことで大事業というものができる。』
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『われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。(拍手喝采)』
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おまけ。
「デンマルク国の話」より引用。
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『国は戦争に負けても滅びません。実に戦争に勝って滅びた国は歴史上けっして少なくないのであります。
国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。
善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。
否、その正反対が事実であります。
牢固たる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興します。
デンマークは実にその善き実例であります。』
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はじめまして。コメント有難うございます。
政治の問題はなかなか難しいですね。この観点から見るとこちらはいいけど、あちらは悪い。別の観点から見ると・・・という風に。1億人以上いる日本国民全員がHappyになる道を探すべきなのでしょうが、1億人の幸福感はすべて違いますし、その利害調整をしているだけですべてが終わってしまう・・。
ネイティブインディアンは、4世代先のためのことを考えながら・・・という考えを持っていたような記憶がありますが、自分も同じような感覚があります。もちろん、100年後の未来を予想するというのは非常に難しく、夢物語に近いかもしれませんが、自分たちが生きている現生の利益ばかり調整すると、それは生きた人のエゴが優先されますが、ほんらいこの日本も地球も、過去の人々たちが守ってきたものであり、未来のまだ見ぬ人々のものでもある。そういう意味で、いま生きている人が全員死んだ後のことを考えながら政治をすれば、少しは個人的なエゴに振り回されずに政治が行われるのではないか。。。と思うのですが。
宇宙空間から見たら地球はひとつの星ですし、バックミンスター・フラーが言うような「宇宙船地球号」の感覚で、日本の政治が行われる時期が到来するのを熱望します。
この本で引用されている、天文学者ハーシェルの
「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
という発言に同意する一人です。
その根底には、内村鑑三が言うように
『高尚なる勇ましい生涯とはなんであるかというと、
この世の中はけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。』
という風に、人類はきっといい方向に向かっている、という希望を頭の中で思いながら、そしてその想念が実現できるよう、自分でできる範囲の事をこつこつ積み上げながら、自分が死んだ後の未来のために思いを尽くす事ができるか、ということを大切にしています。
それは、武士道の誠(誠=言うを成す)のスピリットに近いのかもしれません・・・。
コメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。