当直中。今は平和です。
前回トピックの「ダンサーインザダーク(2009-10-07)」は、映画を見た後にあまりに衝撃を受けて、何かにとりつかれたように一気に書いてしまった。いやーあの映画はすごい。スゴイものやスゴイ人から受けるエネルギーも、同じくスゴイ。
・・・・・・・・
ところで、今日は台風が過ぎ去り、空気がとても澄み渡っています。
空のグラデーションも大層美しくて、「青色」という言葉の中に無限の層が広がっているのを感じます。青色が「青色」としてだけでなくて、不思議なことに「無限に分割された青色」として見える。
ふと東大三四郎池の木を見ると、相も変わらず木や緑は美しく、緑も深く見える。
葉っぱは、木の枝から適当についているようで、微妙に重なりながら微妙にずれあいながら、実はそれぞれが出来る限り太陽の光を受けることができるように、各々が主張しあいながら遠慮しあいながら存在している。
その調和の妙はすごい。台風で均衡が崩れてしまったからこそ、調和の妙が際立つ。
そんな、ただの木、ただの葉っぱが自然に目に入る。その緑色の無限の深さにも、思わず目がとられる。
台風、洪水、地震・・・人がたやすく死んでしまうようなとてつもない巨大なエネルギー。それはむきだしの自然。
自然にとっては単にエネルギーが右から左に動いただけなのかもしれないけれど、その大きな移動に人間は振り回される。でも、その後には空気も水も全てが総変わりしてしまったような印象を受けてしまう。そして、自分の認識も一度リセットされて、総代わりしたような気さえしてくる。
空の青色は一段と深く青く見えるし、木の緑は一段と深く緑に見える。
そこにふと風が吹くと、とても心地よいです。
前回トピックの「ダンサーインザダーク(2009-10-07)」は、映画を見た後にあまりに衝撃を受けて、何かにとりつかれたように一気に書いてしまった。いやーあの映画はすごい。スゴイものやスゴイ人から受けるエネルギーも、同じくスゴイ。
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ところで、今日は台風が過ぎ去り、空気がとても澄み渡っています。
空のグラデーションも大層美しくて、「青色」という言葉の中に無限の層が広がっているのを感じます。青色が「青色」としてだけでなくて、不思議なことに「無限に分割された青色」として見える。
ふと東大三四郎池の木を見ると、相も変わらず木や緑は美しく、緑も深く見える。
葉っぱは、木の枝から適当についているようで、微妙に重なりながら微妙にずれあいながら、実はそれぞれが出来る限り太陽の光を受けることができるように、各々が主張しあいながら遠慮しあいながら存在している。
その調和の妙はすごい。台風で均衡が崩れてしまったからこそ、調和の妙が際立つ。
そんな、ただの木、ただの葉っぱが自然に目に入る。その緑色の無限の深さにも、思わず目がとられる。
台風、洪水、地震・・・人がたやすく死んでしまうようなとてつもない巨大なエネルギー。それはむきだしの自然。
自然にとっては単にエネルギーが右から左に動いただけなのかもしれないけれど、その大きな移動に人間は振り回される。でも、その後には空気も水も全てが総変わりしてしまったような印象を受けてしまう。そして、自分の認識も一度リセットされて、総代わりしたような気さえしてくる。
空の青色は一段と深く青く見えるし、木の緑は一段と深く緑に見える。
そこにふと風が吹くと、とても心地よいです。