岩崎航(著),齋藤陽道(写真)「点滴ポール 生き抜くという旗印」ナナロク社 (2013/6/28)と言う本を読んだ。
感動して泣けた。
ひとことひとことの言葉の重みというものを、強く感じた。
*****************
<内容紹介>
著者の岩崎航は、仙台市在住の37歳です。
3歳で進行性の筋ジストロフィーを発症。
現在は常に人工呼吸器を使い、
胃ろうから経管栄養で食事し、
生活のすべてに介助が必要な体で
ベッド上で過ごしています。
しかし、自殺願望に覆われた10代、
身体の苦しみに苛まされた20代を越え、
30代の今、力強くまたユーモアを交えた詩を
生み出し続けています。
管をつけると/
寝たきりになると/
生きているのがすまないような/
世の中こそが/
重い病に罹っている
(「貧しい発想」より)
ただの闘病記にはない、
すべての生きる人に勇気を与える
新時代詩人のデビュー作です。
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陽道さんがワタリウム美術館でやっている展示(→「宝箱」。素晴らしいのでこちらも是非!)で、この本が置いてあったので買った。
陽道さんの写真で、作者の岩崎航さんの人工呼吸器を触っているお父さん?の写真が冒頭にある。
そこがこの本での切り替えポイントになる。
僕らは、そうして作者の岩崎航さんの視点と同じ視点になり、岩崎航さんの視点で世界を観察する運命共同者になるのだ。
外的世界としては、ある時は家の天井であり、病院の天井であり、人工呼吸器の管しか見えないかもしれない。
外に出るときは、空、空、空。
空は宇宙の果てまで途切れなくつながっている。
外的世界から反転させて内的世界を観察する時、読み手は岩崎さんの精神世界へと入り込む。
そこには絶望もあるが希望もある。ユーモアもあるがかなしみもある。
その分離できないからまった糸玉のような思いは、ひとことひとことで分解され、再構築されていく。
岩崎さんのひとことひとことは重い。
一文字をつづるのにも大変な労力がかかるので、僕らが普段何気なく行っているような言葉とは質や重さが違う。
この一文字を紡ぎされるために、選び抜かれ、厳選された一つの言葉。文字。
苦労の末に内界から外界へと飛びだされた言葉は、読み手の心にはズシンと重く響く。
ただ、それは質量としての重さではない。すぐに墜落してしまうような重さではない。
その言葉はズシンと重く響きながら、生や死を突き抜けた軽妙ささえ感じられるのだ。
それは、粒子としての言葉に対する、波動としての言葉かもしれない。
波は貫通力と共に、包み込む柔らかさも持つのだ。
岩崎さんの詩。
それは時には言葉にならない叫びのようなものだ。
それは時には言葉にならない祈りのようなものだ。
一つの定型としておさめるために詩というフォーマットが、仮に存在している。
ここには叫びと祈りの複合体がある。
岩崎さんの言葉を読んでいると、自分の身を振り返る。
自分は普段からここまで丁寧に言葉を選んでいるだろうか・・・。
自分は普段からここまで熱心にコミュニケーションしようとしているだろうか・・・。
本来、人と人とのコミュニケーションは「存在」の次元で行われている。
お互いが存在しているだけで、すでにコミュニケーションは始まっている。
言葉や身ぶりはその補助機能に過ぎない。
それは、僕らが言葉も習慣もよく分からない異国を訪れば、誰もが体験することだ。
必死に必死に必死に、言葉を超えて存在全体で伝えようとするはずだ。
色々なことを思った。
一言一言に込められた多重な意味をポリフォニーのように感じた。
思わず涙がこぼれた。
おそらく、頭(脳)で意味を解釈したのではなく、自分の体が勝手に共鳴した。すると涙は落ちる。
その涙は、おそらく自分の心身の浄化としても作用しているのだろう。
零れ落ちる涙は、自分に対する何らかのメッセージでもあり、相手へのコミュニケーションのサインでもあるのだろう。
主観から紡ぎされる世界というものを、僕らも自分自身も、大切に守り続けて育み続けて行かないといけないと思います。
それこそが自分の心の世界の土壌になるのだと思います。
岩崎さんが
=============================
<貧しい発想>
管をつけてまで
寝たきりになってまで
そこまでして生きていても
しかたないだろ?
という貧しい発想を押しつけるのは
やめてくれないか
管をつけると
寝たきりになると
生きているのがすまないような
世の中こそが
重い病に罹っている
=============================
と言うように、僕ら全員は何らかの意味で病人であります。病んだ社会に住む住人でもあります。
この生きている世界の病を認識して、治癒へと全員の力を結集して向かわせていきたいところです。
稀有な本です。お薦めです。
是非手にとって、ゆっくりゆっくり、ひとことひとこと、読んでみてください。
この本には「情報」だけではなく、岩崎さんのこころや世界が展開しているのを感じるはずです。
●岩崎航さん 公式ブログ
●岩崎航さん Twitter
●「ほぼ日刊イトイ新聞」 生きる、ということ。
(あまりに素晴らしい詩ばかりで、簡単に引用するのもはばかれるのですが・・・。是非とも本を購入して手にとって読んでいただきたいので、ごく一部だけ紹介させてください。)
=============================
岩崎航『点滴ポール 生き抜くという旗印』
(本文より)
授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けて行く。
生きる事は本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだ、そう信じている。
闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。
生きぬくという旗印は、一人一人が持っている。
僕は、僕のこの旗をなびかせていく。
=============================
此の 戦場を
逃げ出すな
寝た切りを
言い訳にするな
今日の茅舎(ぼうしゃ)忌
安楽死という
スマートな
断筆より
泥臭くとも
今日を生き抜く
=============================
逃げても
逃げても
影は付いてくる
と
もう解っている
われてくだけて
さけてちるかも
実朝の歌に
想い、重ね合わせた
あの受容の葛藤
=============================
押し殺せても
押し殺せない
ものがある
でも それが
人間の証だ
考えても
考えても
意味はない
なら
生きろ
=============================
どんな人でも
木石(ぼくせき)扱いするなかれ
みんなと同じです
在るんです
解るんです
自分で自分を穢(けが)すな
小さくとも
確かな誇り
失うな
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感動して泣けた。
ひとことひとことの言葉の重みというものを、強く感じた。
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<内容紹介>
著者の岩崎航は、仙台市在住の37歳です。
3歳で進行性の筋ジストロフィーを発症。
現在は常に人工呼吸器を使い、
胃ろうから経管栄養で食事し、
生活のすべてに介助が必要な体で
ベッド上で過ごしています。
しかし、自殺願望に覆われた10代、
身体の苦しみに苛まされた20代を越え、
30代の今、力強くまたユーモアを交えた詩を
生み出し続けています。
管をつけると/
寝たきりになると/
生きているのがすまないような/
世の中こそが/
重い病に罹っている
(「貧しい発想」より)
ただの闘病記にはない、
すべての生きる人に勇気を与える
新時代詩人のデビュー作です。
*****************
陽道さんがワタリウム美術館でやっている展示(→「宝箱」。素晴らしいのでこちらも是非!)で、この本が置いてあったので買った。
陽道さんの写真で、作者の岩崎航さんの人工呼吸器を触っているお父さん?の写真が冒頭にある。
そこがこの本での切り替えポイントになる。
僕らは、そうして作者の岩崎航さんの視点と同じ視点になり、岩崎航さんの視点で世界を観察する運命共同者になるのだ。
外的世界としては、ある時は家の天井であり、病院の天井であり、人工呼吸器の管しか見えないかもしれない。
外に出るときは、空、空、空。
空は宇宙の果てまで途切れなくつながっている。
外的世界から反転させて内的世界を観察する時、読み手は岩崎さんの精神世界へと入り込む。
そこには絶望もあるが希望もある。ユーモアもあるがかなしみもある。
その分離できないからまった糸玉のような思いは、ひとことひとことで分解され、再構築されていく。
岩崎さんのひとことひとことは重い。
一文字をつづるのにも大変な労力がかかるので、僕らが普段何気なく行っているような言葉とは質や重さが違う。
この一文字を紡ぎされるために、選び抜かれ、厳選された一つの言葉。文字。
苦労の末に内界から外界へと飛びだされた言葉は、読み手の心にはズシンと重く響く。
ただ、それは質量としての重さではない。すぐに墜落してしまうような重さではない。
その言葉はズシンと重く響きながら、生や死を突き抜けた軽妙ささえ感じられるのだ。
それは、粒子としての言葉に対する、波動としての言葉かもしれない。
波は貫通力と共に、包み込む柔らかさも持つのだ。
岩崎さんの詩。
それは時には言葉にならない叫びのようなものだ。
それは時には言葉にならない祈りのようなものだ。
一つの定型としておさめるために詩というフォーマットが、仮に存在している。
ここには叫びと祈りの複合体がある。
岩崎さんの言葉を読んでいると、自分の身を振り返る。
自分は普段からここまで丁寧に言葉を選んでいるだろうか・・・。
自分は普段からここまで熱心にコミュニケーションしようとしているだろうか・・・。
本来、人と人とのコミュニケーションは「存在」の次元で行われている。
お互いが存在しているだけで、すでにコミュニケーションは始まっている。
言葉や身ぶりはその補助機能に過ぎない。
それは、僕らが言葉も習慣もよく分からない異国を訪れば、誰もが体験することだ。
必死に必死に必死に、言葉を超えて存在全体で伝えようとするはずだ。
色々なことを思った。
一言一言に込められた多重な意味をポリフォニーのように感じた。
思わず涙がこぼれた。
おそらく、頭(脳)で意味を解釈したのではなく、自分の体が勝手に共鳴した。すると涙は落ちる。
その涙は、おそらく自分の心身の浄化としても作用しているのだろう。
零れ落ちる涙は、自分に対する何らかのメッセージでもあり、相手へのコミュニケーションのサインでもあるのだろう。
主観から紡ぎされる世界というものを、僕らも自分自身も、大切に守り続けて育み続けて行かないといけないと思います。
それこそが自分の心の世界の土壌になるのだと思います。
岩崎さんが
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<貧しい発想>
管をつけてまで
寝たきりになってまで
そこまでして生きていても
しかたないだろ?
という貧しい発想を押しつけるのは
やめてくれないか
管をつけると
寝たきりになると
生きているのがすまないような
世の中こそが
重い病に罹っている
=============================
と言うように、僕ら全員は何らかの意味で病人であります。病んだ社会に住む住人でもあります。
この生きている世界の病を認識して、治癒へと全員の力を結集して向かわせていきたいところです。
稀有な本です。お薦めです。
是非手にとって、ゆっくりゆっくり、ひとことひとこと、読んでみてください。
この本には「情報」だけではなく、岩崎さんのこころや世界が展開しているのを感じるはずです。
●岩崎航さん 公式ブログ
●岩崎航さん Twitter
●「ほぼ日刊イトイ新聞」 生きる、ということ。
(あまりに素晴らしい詩ばかりで、簡単に引用するのもはばかれるのですが・・・。是非とも本を購入して手にとって読んでいただきたいので、ごく一部だけ紹介させてください。)
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岩崎航『点滴ポール 生き抜くという旗印』
(本文より)
授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けて行く。
生きる事は本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだ、そう信じている。
闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。
生きぬくという旗印は、一人一人が持っている。
僕は、僕のこの旗をなびかせていく。
=============================
此の 戦場を
逃げ出すな
寝た切りを
言い訳にするな
今日の茅舎(ぼうしゃ)忌
安楽死という
スマートな
断筆より
泥臭くとも
今日を生き抜く
=============================
逃げても
逃げても
影は付いてくる
と
もう解っている
われてくだけて
さけてちるかも
実朝の歌に
想い、重ね合わせた
あの受容の葛藤
=============================
押し殺せても
押し殺せない
ものがある
でも それが
人間の証だ
考えても
考えても
意味はない
なら
生きろ
=============================
どんな人でも
木石(ぼくせき)扱いするなかれ
みんなと同じです
在るんです
解るんです
自分で自分を穢(けが)すな
小さくとも
確かな誇り
失うな
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死にたい方向に向かっていて
毎日、お話をしているのだけど
今日感じられるものは、今日しか訪れないって
昨日気がついたの。
同じ気持ちは、どんな気持ちだって、
全くの同じようには、二度と訪れない。
だから、どんな死にたさも、悲しさも、孤独も。
感じて生きていかなきゃって思いました。
この方の本を、読んで、贈ろうかな。
人って、個で、個は出会った時にしか
わからないし、分かり得ないですよね。
大きいくくりにすることが出来ないのが個だから
出会うことって本当に大事なんだなあって思います。
紹介してくれて、ありがとー
そうですね。
全存在をかけるということは重要なことですね。自分の存在を肯定も否定もすべてふくめてすべて肯定できたとき、はじめてYesやNoのような本当の自分の声が出てくるのかもしれませんね。
>スイッチさん
アスペルガー症候群のご友人、もしかするとあの子のことですかね?昨日ランディさんと話してて話題になりました。この本、確かにいいかもしれません。何か胎の底から自分の生命の声が聞こえてくると思います。
もともと、自殺へと向かう人は感受性の高い感度の高い人です。感受性は鈍すぎても敏感過ぎても生きづらく、そのひとにとってのいい塩梅を探していくのがその人の人生の足跡になるように思います。
<今日感じられるものは、今日しか訪れない>って、まさにそうですね。日々人間は変わっていますし、同じような感情でも細かく丁寧に見ていると、少しずつ変容していっていると思いますね。
人間は、それぞれの人生を生きていて、しかもその生き方はすべてが主観的でオリジナルなもので、だからこそ違うんですよね。
人間が<同じ>ということに慣れすぎている人は、人間は<違う>ということを学ぶ課題がありますし、人間が<違う>ということに慣れすぎている人は、人間が<同じ>側面もあるということを学ぶ課題がありますし、医療という世界は、そんな人間の多面的なものを日々見せつけられつつ、学ばせてもらっているような気がします・・・。
主観と客観のバランスが、本当に大事です。
とにかく。素晴らしい本ですよ。おすすめです!