エネルギーに関して、現実的な現在までの実績に関する考察をしたいと思う。すなわち、原子力(3割)と火力(6割)に関する考察だ(資源エネルギー庁データ)。眠っている火力発電所を稼動して経済を維持した場合にどうなるかのシミュレーションが必要であることは論をまたないと思うが、自分の見たところ、原発の危険を煽るばかりで、そういう当たり前の議論が欠けている。これは脱原発派が一々圧力をかけているからだろう。筆者のようなしがないブロガーにさえ、原発について喋るななどとつまらぬ圧力がかかるのだから。
日本はこれまで原発推進一本槍で異論を受け入れなかったことに反省はしなければならないと思う。それが今回の事故の一因でもあるだろう。しかし、その答えが脱原発では悪い冗談にしか思えない。それは原発を止めるという結論ありきの態度で、原発絶対の裏返しに過ぎないからだ。日本が原発絶対から脱原発に180度ブレたなら(世論は菅浜岡停止「要請」の影響でそうなりつつあるように見える)、火力頼みか経済代縮小か自然エネルギー信仰(それは未来の話に過ぎないのだが)か知らないが、また決定的なミスを犯すのではないかと思う。思考停止というパターンは何も変ってないからだ。
それでは本題だが、原子力発電の意義が良く纏まっていると思う文章が見つかったので、リンク・引用して考察したい。
関西原子力懇談会「原子力燃料リサイクルの意義」
>原子力発電の燃料となるウランは、全量を海外からの輸入に頼っていますが、供給国であるカナダ、オーストラリアなどは、日本の原油輸入の約9割(2004年度)を占める中東地域に比べると政情の安定した国であり、また、供給国の多様化、長期購入契約の締結などにより、安定した供給が期待できます。
>ウランは石油に比べ少ない量で発電できるため、石油に比べ備蓄性があるといえます(表1)。我が国の石油備蓄量は、2005年6月末現在で9,032万キロリットル(製品換算)、171日分に相当します。一方、原子力発電ではウラン燃料を原子炉に装荷すると約1年間は燃料を取り替えずに発電でき、これに発電までの工程にあるウランを踏まえると、ウランの備蓄量は少なくとも2年分程度と見積ることができます。
>エネルギー資源は有限です。石油、石炭、天然ガス、ウラン、各エネルギー資源の確認可採埋蔵量と可採年数は図3のとおりです。ウランも限りある資源であり、可採年数は約85年ですが、再処理して軽水炉で利用(プルサーマル)することによりウランの利用効率を1~2割程度高めることができます。さらに、高速増殖炉(FBR)サイクルが実用化すれば、ウランの利用効率は格段に高まり、現在把握されている利用可能なウランだけでも数百年間にわたって利用し続けることが可能となります。
やはり何と言っても高速増殖炉の可能性が決定的に大きい。日本のようなエネルギー資源小国にとっては悲願と言っていいだろう。エネルギー資源について同じ悩みを持つ中国も開発をしている(ウィキペディア高速増殖炉2011/05/28 23:50)。技術的な困難性を指摘するむきもあるが、人類は月に行けるのだから、自分としてはその可能性に期待したいと思う。
火力に関しては、(ウランと同じくだが)埋蔵量が限られており(石油の生成に関しては、このブログの立ち上げの頃〈2008年11月〉に取り上げたことがあるのだが、諸説あるようなので、枯渇しない可能性もないとは言えない)、日本ではほとんど産出せず(メタンハイデレードに関しては既に批判的に考察した)、安価に採れるものは枯渇してきているという問題があり、中東の政情不安定という問題がある。。
また、関原懇の指摘で大きいのは、備蓄性の問題だ。石油の備蓄は官民併せて半年にも満たない。ウランが一度輸入されると、一年以上使えることから、自給エネルギーに含められることもあることと併せて、エネルギー資源としての安定性は否定できないと思う。福田政権の頃、原油危機で中小企業・農林漁業・離島が大きな影響を受けた。これは大規模なエネルギー発電にはさほど影響しないとしても、原油価格の不安定性について考えるいい機会だったろう。
つまり現実的にエネルギーを安定供給しているのは原子力と火力だが、原子力には日本のような国情の国にとって大きなメリットがある。だから、推進されてきたのだ。ドイツ(石炭が出る)(脱原発)やアメリカ(スリーマイル後の原発停止)のような自国でエネルギー資源を賄える国と同列に考えてはならない。イギリスも北海油田が尽きる見込みがあり、原子力発電を推進するとも(少なくともドイツのような脱原発の話は聞かない)。フランスは言わずもがな。
地震によって、エネルギー供給体制は何も変らない(寧ろしつこいようだが、逆にメタンハイデレードが安全に利用できるのかという疑問が深まった)。安全性を高める議論には賛成する。だが、不安でうわっとなって、何故原子力が推進されてきたかを忘れてはならないと思う。
日本はこれまで原発推進一本槍で異論を受け入れなかったことに反省はしなければならないと思う。それが今回の事故の一因でもあるだろう。しかし、その答えが脱原発では悪い冗談にしか思えない。それは原発を止めるという結論ありきの態度で、原発絶対の裏返しに過ぎないからだ。日本が原発絶対から脱原発に180度ブレたなら(世論は菅浜岡停止「要請」の影響でそうなりつつあるように見える)、火力頼みか経済代縮小か自然エネルギー信仰(それは未来の話に過ぎないのだが)か知らないが、また決定的なミスを犯すのではないかと思う。思考停止というパターンは何も変ってないからだ。
それでは本題だが、原子力発電の意義が良く纏まっていると思う文章が見つかったので、リンク・引用して考察したい。
関西原子力懇談会「原子力燃料リサイクルの意義」
>原子力発電の燃料となるウランは、全量を海外からの輸入に頼っていますが、供給国であるカナダ、オーストラリアなどは、日本の原油輸入の約9割(2004年度)を占める中東地域に比べると政情の安定した国であり、また、供給国の多様化、長期購入契約の締結などにより、安定した供給が期待できます。
>ウランは石油に比べ少ない量で発電できるため、石油に比べ備蓄性があるといえます(表1)。我が国の石油備蓄量は、2005年6月末現在で9,032万キロリットル(製品換算)、171日分に相当します。一方、原子力発電ではウラン燃料を原子炉に装荷すると約1年間は燃料を取り替えずに発電でき、これに発電までの工程にあるウランを踏まえると、ウランの備蓄量は少なくとも2年分程度と見積ることができます。
>エネルギー資源は有限です。石油、石炭、天然ガス、ウラン、各エネルギー資源の確認可採埋蔵量と可採年数は図3のとおりです。ウランも限りある資源であり、可採年数は約85年ですが、再処理して軽水炉で利用(プルサーマル)することによりウランの利用効率を1~2割程度高めることができます。さらに、高速増殖炉(FBR)サイクルが実用化すれば、ウランの利用効率は格段に高まり、現在把握されている利用可能なウランだけでも数百年間にわたって利用し続けることが可能となります。
やはり何と言っても高速増殖炉の可能性が決定的に大きい。日本のようなエネルギー資源小国にとっては悲願と言っていいだろう。エネルギー資源について同じ悩みを持つ中国も開発をしている(ウィキペディア高速増殖炉2011/05/28 23:50)。技術的な困難性を指摘するむきもあるが、人類は月に行けるのだから、自分としてはその可能性に期待したいと思う。
火力に関しては、(ウランと同じくだが)埋蔵量が限られており(石油の生成に関しては、このブログの立ち上げの頃〈2008年11月〉に取り上げたことがあるのだが、諸説あるようなので、枯渇しない可能性もないとは言えない)、日本ではほとんど産出せず(メタンハイデレードに関しては既に批判的に考察した)、安価に採れるものは枯渇してきているという問題があり、中東の政情不安定という問題がある。。
また、関原懇の指摘で大きいのは、備蓄性の問題だ。石油の備蓄は官民併せて半年にも満たない。ウランが一度輸入されると、一年以上使えることから、自給エネルギーに含められることもあることと併せて、エネルギー資源としての安定性は否定できないと思う。福田政権の頃、原油危機で中小企業・農林漁業・離島が大きな影響を受けた。これは大規模なエネルギー発電にはさほど影響しないとしても、原油価格の不安定性について考えるいい機会だったろう。
つまり現実的にエネルギーを安定供給しているのは原子力と火力だが、原子力には日本のような国情の国にとって大きなメリットがある。だから、推進されてきたのだ。ドイツ(石炭が出る)(脱原発)やアメリカ(スリーマイル後の原発停止)のような自国でエネルギー資源を賄える国と同列に考えてはならない。イギリスも北海油田が尽きる見込みがあり、原子力発電を推進するとも(少なくともドイツのような脱原発の話は聞かない)。フランスは言わずもがな。
地震によって、エネルギー供給体制は何も変らない(寧ろしつこいようだが、逆にメタンハイデレードが安全に利用できるのかという疑問が深まった)。安全性を高める議論には賛成する。だが、不安でうわっとなって、何故原子力が推進されてきたかを忘れてはならないと思う。