茨城観光を調べていたのですが、さすがに素人が言えることはあまりないですね(神社とかインバウンドとの絡みで日本文化はまだまだアピールできるとは思いますが。多分、努力してないだけ)。という訳で茨城の著名スポットの紹介は紹介ページにリンクして終了。
水戸ってかなり遊べちゃうんです!茨城・水戸の観光スポット10選(icott)
この中でひとつ調べて気になったのは
徳川ミュージアムですね。
>2011年3月11日の東日本大震災では、財団管理下の水戸徳川家墓所(茨城県常陸太田市、国の史跡)の石垣が崩壊、光圀隠居所であった西山荘(同市、茨城県指定史跡)も大きな被害を受け、宝物蔵、博物館の収蔵庫、壊れた展示品の修理など必要となった。復興に要する費用は同年6月30日の時点で約20億円と見込まれ、公的補助を受けてもなお5億円にのぼる負担が必要となった。2015年現在、財団は復興費などの寄付金募集を行っている(同財団は公益法人のため、寄付金は控除対象となる)。
おいおいおいどうなっとるんや~?貴重な文化財に保険も掛けとらんのか~?って思いますよね。原始的か。筆者は保険大好きイギリスの回し者じゃあありませんが、文化財に保険ぐらい掛けたらどうかと思って調べました。何時何処にどんな規模で地震が来るか分からない以上、個別の博物館で対応できるはずもなく、保険でリスクに備えるのが当たり前でしょう。公的補助もタダじゃありませんので。博物館も自分とこで必死に稼いで自分で保険を掛けて対応するのが筋だと思います。
地震保険(ウィキペディア)
>地震保険は、被災者の生活の安定を目的とする保険であるため、保険の対象は住宅及び生活用動産に限られ、保険事故は地震・噴火またはこれらによる津波を原因とする火災・損壊・埋没・流出による全損・半損・一部損である。
>保険料は、所在地(都道府県)と建物の構造により異なる。所在地は、地震の危険度により都道府県別に1等地~4等地までの4つに区分されており(4等地は、東京都・神奈川県・静岡県)、建物の構造は、木造か非木造かの2つに区分されている。また、築年数や耐震等級などの割引制度もある。なお、1回の地震について支払われる保険金の総額の限度が地震保険法施行令で定められており(2008年(平成20年)4月1日時点では5兆5千億円)、支払うべき保険金の総額がその限度額を超える場合には、これに応じて保険金が削減される(関東大震災クラスの地震が発生しても全額支払可能と想定されている)。また、損害保険会社の経営が破綻した場合に契約者保護を行う「損害保険契約者保護機構」でも、地震保険は100%補償されることになっている。
>地震保険は、建物の時価額の30~50%を限度として補償する保険であるため、地震保険だけでは住宅を再建するための費用(再調達価額)に対して保険金が不足することもありうる。
うん、博物館保護にはなりませんね。どうして地震から文化財を保護する保険がないのかの考察は後に回します。生活者に対する地震保険はあるようですが、熊本ではどうなったか調べると・・・
熊本地震で2,724億円支払い 今だから学べる地震保険(火災保険レスキュー)>日本損害保険協会が6月6日時点の「平成28年熊本地震に係る地震保険の支払件数と金額」のデータを発表しました。その額は2,724億円、なんと東日本大震災に次いで二番目に高額な保険金支払い額となります。>上記は日本損害保険協会が発表したデータです。対象は九州地方全域ですが2,724億円のうち2,593億円を震源地の熊本県が占めています。この金額は支払い額約783億円の阪神淡路大震災を大きく上回り、約1兆2346億円支払われた東日本大震災の次に高額です。・・・ということで保険に対する日本人の意識は順当に上がっているようです。良いことですね。万一の時は政府は支援するでしょうが、
仮設住宅(ウィキペディア)の環境が悪いとか何時まで経っても出て行かないという話を聞くと何とも言えない気持ちになります。また、支払われる額は建物の時価の半分以下であることに注意が必要でしょうが、関東大震災クラスでも全額支払いが想定されているというのは心強いですね。ホントかな?またまた~関東大震災だったら足りなくなって破綻はしないものの給付カットになるんじゃないの~って思ってしまいますが(ホンネ)、検証する能力もないので一応信じることにします。頼みますよ。
東京・神奈川・静岡・・・
東京・神奈川・静岡・・・レベル死ワロタ。東京・神奈川は何時まで経っても全く来ない予報士狼少年状態の東海地震対応で著名な静岡に並ぶんですね(
【地震・津波】静岡県民最強伝説 NAVERまとめ)。都民は心の準備・お金の準備出来てますか~?ヒビがはいりまくったビルとか野放しにしている場合じゃないかもよ~(個人的な体験の話です)。でもあまりビビって無駄に貯め込まないでくださいね~。東京の財布の紐がしまったら地方も大迷惑するんでヨロシク。保険掛けてある程度の貯えを備えたら後は収入に応じて使うんです。地震来た時に備えて金を貯めて価値が下落した土地を買いしめてひと財産築こうとしているそこのあなた!安倍政権がインフレをおこしあなたの大切な財産を目減りさせます(笑)。
美術品補償制度はあります(文化庁)。でもこれは展覧会とかで海外の美術品を借り受けるために創った制度なんですね。海外の美術館の皆様においおいおい~地震対応もしてないのかよ~貸せね~だろ~とか言われて作った制度なんだと思います。フツーにもっともでしょう。それでも日本の美術館は日本の美術品に対応しないのだとしたら相当ですね(日本の美術館が対応しているなら展覧会のための制度が必要でしょうか?)。海外の美術館員の方々は大切な美術品を日本に売れるか?と思っても止む無しですね。競走馬なんかも本当に大切な馬・特に多数に種付けできる牡馬と違って子供の頭数が限られている良血牝馬は日本に売りたがらないともいいますが(最近の事情は知りません)、ちょっと地震対応に関しては馬鹿にされて止む無しなところがあるようにも思えます。
で、何故文化財に保険をかけていないか(多分)ですが・・・日本の美術品に値がついていないからではないかと推測できます(
日本の美術品の評価が世界的に低いのはなぜですか? Yahoo知恵袋>日本の美術が世界の美術にひけをとらないと思いますが金額はかなり低いです。十億単位のものがほとんどない。国宝でも難しい。それに引き換え中国美術は順調に伸びています。美的に大したことないと思うのだかなぜか高い。>日本美術は『わかりにくい』ので、相当の日本マニア以外は手をだしません)。値がついていないから、保険がかけられない・・・図星でしょ?まぁ値がついている西洋美術なんかはやってないとしたら早急に保険をかけてほしいですが、日本美術が値がつかないなら日本美術界が惨めでやってられないですからね。でも事実は事実と思います。
価値は創造して高く売るもの――北斎に学ぶイノベーション[2]「印象派」の隠れた起源と価値創造(日経ビジネスオンライン)という記事を検索で見つけました。
>美術品競売で世界のトップ2というべき「ササビーズ」と「クリスティーズ」は、ともにロンドンにある競売会社です。ササビーズの設立が1744年、クリスティーズは1766年、世界最古と世界最大のオークション会社は、共にイギリス人が作ったということに、まず注目しておきましょう。
>イギリス人は株式化とか証券化、あるいはオークションのような競り市など「財」に付加価値をつけていくのが実に巧みです。ゴッホ(オランダ)ピカソ(スペイン)クリムト(オーストリア)など、競売に掛けられる品物は各地から(というより大半はイギリス以外)から持ち込まれるものですが、それをキャッシュに化けさせ、テラ銭を巻き上げるという「胴元」ブランドとして、ロー(というかほとんどノー)リスク、ハイリターンの構造を確立していることに注意せざるを得ません。
>これはまた「格付け会社」の元祖の1つでもあります。「サザビーズに持ち込まれた」「クリスティーズで競売に掛けられた」という事実自体が「信用」=財を産む。知財は間違いなく「情報付加価値」の一形態ですが、それらを生み出す「価値の根源」が、こうしたブランドにある事は、改めて注目しておく価値があると思います。
>しかし、こうした競売会社としても、ただ安穏と利をむさぼっているばかりでは成り立ちません。新しい「価値」を生み出す、この場合は「新商品を発見し続ける」ことが、ディーラーとしてはとても重要な仕事になるわけです。
イギリス人エ・・・。デービッド・アトキンソンさんもイギリス人の本能として(?)、文化財の価値創造に精を出していると考えると合点がいきますね。元金融マンですが、金融の仕事と相性がいいところもあるんでしょう。文化財観光の価値を自ら創造し自ら売り込む・・・こういうスタイルが日本人にも身についた時、日本人の文化財インバウドは相当掘り起こされると思います。文化財自体は残っているのですから。自分で価値創造できないなら、ユネスコとかCNNに評価してもらって逆輸入するしかありませんね。大体が北斎も逆輸入の形で日本人は自分のつくったものの価値に気付かないところがあります(視点・論点
「猫と浮世絵」NHK解説委員室)。
>印象派絵画やピカソ、あるいは戦後のアメリカン・ポップアートに至るまで、美術作品に高値がつくには、それらを支える「神話」ないしは「ストーリー」が存在しています。欧米の画商やキュレーター、あるいは美術評論家といった人々は、そうした価値を価格と共に作り出し、文化や作家の制作を守る人々でした。リトアニア系ユダヤ人の美術評論家、クレメント・グリーンバーグはそうした最右翼の1人といえると思います。
>「印象派絵画に日本の浮世絵が影響を与えた」というお話だけなら、そこそこ世の中でも知られています。クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」など、露骨に日本の意匠が描かれた作品を想起される方もあるでしょう。
>しかし、画家達が注目したのは、日本っぽい雰囲気や意匠が中心じゃないんですね、実際のところは。前回(リンク)北斎の「神奈川沖波裏」でお話したように、少ない色がシンプルに重ねられながら、多彩な色彩感を生み出している、その技法全体が、驚異をもって受け止められた。その結果「混色」ではなく色を置いてゆく「光の技法」が生み出されたわけです。
なるほどね。筆者もキュレーターという言葉だけは知っていましたが、こういう感じの文脈だったんですね。デービット・アトキンソンさんが文化財の説明に拘るのもちゃんと意味を分析して何故何が答えられないと価値が創造できないからなのかもしれませんね。インテリ外人が日本文化に興味を持っても疑問に答えられないようでは、ファンも増えていかないでしょうね。それが日本の文化財の低価値に繋がっているのかもしれません。低評価だと気分を悪くされる所有者の方もいらっしゃるかもしれませんが、評価しなかったからと言って、文化財の価値があがる訳ではありません。
キュレーター(ウィキペディア)
>現代美術の世界においては、キュレーターは展覧会の企画者としての業務が重要である。これは、現代美術に携わる現役アーティストと社会との接点が主として展覧会であり、現代美術と社会の橋渡しをする存在としてキュレーターが重要な位置を占めるからでもある。展覧会におけるキュレーターの仕事は、テーマを考え、参加アーティストやアート作品を選択し、しかるべき展示会場に好ましい効果を発揮するようにアート作品を設置し、カタログに文章を執筆することなどである。キュレーターは美術館に所属することが多いが、日本の学芸員とは仕事の権限・内容が大きく異なるので、欧米の美術館に勤めるキュレーターを学芸員と呼ぶことは不適切である。大学などで美術を教えたり美術評論家を兼ねるキュレーターも多い。欧米の現代美術の世界では、美術館やギャラリーや財団などの組織に所属しないフリーランスのキュレーターという職種が成立している。ハラルド・ゼーマン(英語版)は、そのような独立キュレーターの先駆者の一人であった。
インターネットとかでもキュレーターとか言っているようですが、それはさておき、現代美術における欧米のキュレーターは確かに価値を創造し値段をつける役割を担っているようです。こんな記事もあります。
学芸員の仕事 欧米の学芸員との違い(Career Garden)
>欧米のキュレーターと日本の学芸員との大きな違いは仕事の範囲です。基本的に日本の学芸員は博物館の幅広い業務に関わる事が期待されています。
>仕事には学術的な研究調査や収納物の管理保存などさまざまなものがありますが、中にはチケットの売り子や帳簿付けや電話連絡など、学芸員というよりは日常の雑務に近いこともあります。時には「雑芸員」と揶揄されることもあります。
>対して欧米のキュレーターはもっと仕事の範囲が限定的です。専門知識を活かした展示などを立案し、その企画のために中心人物として事務や技術職員などをとりまとめて、仕事を
運営していきます。
>企画のコンセプトを考え、何を展示し、どんな風に仕上げるかを熟考し、そのために周りの人材も上手にマネジメントする専門家としての役割に特化しています。
>もちろん展示の企画と進行などは日本の学芸員も行います。しかし、日本の学芸員はそのための事務的な部分、収集研究などの技術的な部分、一般への説明啓蒙などの広報教育的な部分など、多くの分野に関わることが多いです。
>欧米はそれらの職務が分離してそれぞれ細分化されているのに対して、日本は職務としてカバーされてる範囲が広いのです。
>日本においては博物館や美術館で働く人の多くが「学芸員」を名乗りますが、欧米の「キュレーター」は館内での地位が高い人が名乗る傾向にあります。
>欧米のキュレーターは展示企画者としての識見と能力が重視されるだけでなく、そのための人材を管理し、動かしていくようなマネジメント能力も要求されるからです。
仕事は欧米と日本で似通っていますが、日本はみんなゼネラリストで欧米は専門家が多いようですね。こうした文化的なことに口出ししようとは思ってはいませんが、欧米がキュレーターと名乗っているような人々を創っていかない限り、日本文化の価値創造及びまともな産業化も難しいんだと思います。人口が増えてりゃ何となく維持できるのかもしれませんが、どんどん人は減りどんどん日本文化は消え去るのみなんでしょうね。今のままだと。文化を創って維持をするのにもお金は必要です。政府からの補助金を食い潰す金食い虫のままでいることが心地いいのかもしれませんが(
美術館・歴史博物館への支援(文化庁))、筆者などはいっちょ煽ったろうかと思っています。お気をつけを。
鹿島とか出雲大社とかいろいろ神社について書きましたが、神話というテキストもある訳ですし、分析評価して説明できるようになれば価値創造も出来てくる気はしますね。まぁ宗教なんですが、確かに観光としての側面もあります。日本人も格付けというか三大何ちゃらみたいな話は好きだと思いますが、どうしてもみんな平等に評価とかで差をつけない方向性に行きたがるんでしょうか?筆者などは運動会でお手手繋いでみんなでゴールみたいな話(都市伝説ともいう)は臍で茶が沸きますが、単に分析していいものはいいと言うだけですから、そうすればいいんだろうと思います。掲示板とかでも野球でポジションに例えて格付けするスレとかあるようですが、それを本格化させて基準をハッキリさせ議論を深化させるという方向性になるでしょう。
最後に一点茨城観光で言及しますと、やや気になるのは
古河公方(ウィキペディア)ですね。
>古河公方(こがくぼう)は、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となった。(享徳の乱)その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれる。
>成氏の移座により、古河は第二の鎌倉・新たな東国の都となった。また、鎌倉府から継承された政治・権力・組織を「古河府」とも呼ぶ。
鎌倉なんかもそうだと思いますが、古河も何処まで当時の文化財が残っているか良く分からないところがありますよね。特に価値があるものは古河が東国の都であった頃のものだと思うんですが、その後も歴史はある訳で(水戸なんかは時代が下る分強いですね)。後茨城であっても常陸じゃないみたいな。何故か下総(大体現在の千葉)みたいな。
茨城県の古河や結城はどうして下総国だったんですか? 現在の茨城県と千葉県の境...(Yahoo知恵袋)。古河や結城と常陸の間の湿地が邪魔だったようですが、人間は結構土木で地形を変えてきていますね。
足立重信(ウィキペディア)を知っているか知らないかで愛媛県人か社会科を多少なりとも勉強したかが判別できると思いますが、関東の工事は大概ですね。利根川も江戸湾(東京湾)に注いでいたらしいですし。それはともかく、筆者などはつい変り種に着目してしまう癖がありますが、差があると何故何いろいろ考えますからね。結構面白いですよ。キンタロー飴じゃつまらん。まぁ考えても何もいいアイディアがでない時もあります。古河の観光も栄えるといいですね(
古河市観光協会 こがナビ)。