小池・小泉「脱原発」のウソ(飛鳥新社)を読みました。非常に面白かったです。筆者の中では賛成派にも反対派にも読んで欲しい必読書ですね。
本日はこの本をレビューするつもりだったのですが、他の記事やコメントに時間がかかって結局分割することにしました(後1時間と少しで仕事です)(細かい気もしますが、はじめに+全八章+執筆者紹介で十分割を考えています)。何時もこんな感じですが、興味が出たことはひとつひとつ片付けないと気が済まない性分ですし、日課は本を読んで考えることより優先していますので、ご了承ください。ネタに関してはほぼ決まっていますので、できる限り近い内に最後まで進めることはできるんじゃないだろうかと思っています(といいつつ9割8分予定は延期されるのですが・・・。何か公共事業みたい(?)ですね)。
まず「はじめに」で小池氏や小泉氏がもっとも重視している高レベル放射性廃棄物の最終処分場問題に関して言えば、フィンランドのように地形や地質に恵まれない日本でも、10万年以上安全に廃棄することは技術的に十分可能であり、その面の技術開発は日本もすでに高いレベルに達しているとの指摘があります(12p)。この本を読めば分かりますが、脱原発派の重要な疑問に真摯に答え、何故原発が必要なのか具体的事例と共に説得的に説明する内容になっていることが本書の特徴です。
40数年前の石油ショック(オイルショック(ウィキペディア)>1973年(第1次)と1979年(第2次)に始まった(ピークは1980年)、原油の供給逼迫および原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱である・・・1976年生まれの筆者にはこの時の記憶は直接ありませんが、石油危機があったという雰囲気の中育ったような気がします)の時も、日本は原子力発電を最大限拡大することによって国家的危機を乗り越え、経済大国の地位の獲得に成功しました(15p)との指摘があります。日本で原発建設が始まった少し後に第一次石油危機が来て、第二次石油危機がピーク(1980年)を迎える中も原発建設は続き、石油危機が去った後もその記憶が生々しい間にドンドン建設が進んだという流れのようです(全国の原子力発電所 運転開始年・経過年数順 敦賀・美浜・高浜・島根・玄海 JC-NET)(これ以上必要ないからかもしれませんが、1995年以降は運転開始の原発が減っています)。まぁ石油危機前に原発建設は始まっていますし、石油危機後も原子力発電所の建設はドンドン進められた訳ですが、今では(20年前くらいから)建設のペースは遅くなっていますし、石油危機を背景に原子力発電所の建設は進み、今では石油危機の混乱が思い起こされることも少なくなっていることは間違いないんだろうと思います。ですが、石油・天然ガスよりウランの可採年数が随分長いことは間違いないでしょうし(世界のエネルギー事情 関西電力)、そう考えると天然ガスに頼った発電は危ういことに気付くはずです。現在石油発電は例外的にしか行われていませんし、石炭発電は資源が豊富ですが、環境問題で批判が多く、現在持ち上げているのは批判も多いトランプ政権ぐらいなものです。まぁ可採年数がどの程度正確なのか良く分からないところもありますが、簡単にとれるところはドンドンとっていますから、採掘コストが上がっていくトレンドが確実である中(シェールガス革命も採掘コストが高い問題があることが今では判明しています)、有限でそれなりに大きい部分を占める資源の供給源をひとつ断つ(脱原発とはそういうことです)ということの愚かさは、意識しても意識し過ぎることはないと思います。これは簡単な算数の問題です。石油危機は今となっては別段資源の危機ではないように見える時に起こりました。本当にその時資源が危ないと思われていたのか、他に要因があったのか筆者は良く分かりませんが、何時また同様の危機があるかもしれません。特に今の子供達その子供達のことを考えると資源の供給源の多様化は重要と思います。石油ショックほどの危機はそうそうないかもしれませんが、原油高は今でもしばしばあり、筆者もこのブログで何時だったか原油高の頃にそれに関する記事を書いた覚えがあります。つらいことを忘れることは精神衛生上はいいと思いますが、危機を逐一忘れるようでは、危機管理はできないところがあります。天災が多い国の一種の精神的技術はあるかもしれませんが、喉元過ぎれば熱さを忘れることの問題はあるでしょう(資源の権益重視は結構筆者の論調の特徴(日本では特に保守系でよくある)でもあって、それは原発重視と同根です。別に先の大戦に至る経緯も意識していない訳ではありませんし、そこのところに特に保守系が拘るのも全て同様だと思います)。
本日はこの本をレビューするつもりだったのですが、他の記事やコメントに時間がかかって結局分割することにしました(後1時間と少しで仕事です)(細かい気もしますが、はじめに+全八章+執筆者紹介で十分割を考えています)。何時もこんな感じですが、興味が出たことはひとつひとつ片付けないと気が済まない性分ですし、日課は本を読んで考えることより優先していますので、ご了承ください。ネタに関してはほぼ決まっていますので、できる限り近い内に最後まで進めることはできるんじゃないだろうかと思っています(といいつつ9割8分予定は延期されるのですが・・・。何か公共事業みたい(?)ですね)。
まず「はじめに」で小池氏や小泉氏がもっとも重視している高レベル放射性廃棄物の最終処分場問題に関して言えば、フィンランドのように地形や地質に恵まれない日本でも、10万年以上安全に廃棄することは技術的に十分可能であり、その面の技術開発は日本もすでに高いレベルに達しているとの指摘があります(12p)。この本を読めば分かりますが、脱原発派の重要な疑問に真摯に答え、何故原発が必要なのか具体的事例と共に説得的に説明する内容になっていることが本書の特徴です。
40数年前の石油ショック(オイルショック(ウィキペディア)>1973年(第1次)と1979年(第2次)に始まった(ピークは1980年)、原油の供給逼迫および原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱である・・・1976年生まれの筆者にはこの時の記憶は直接ありませんが、石油危機があったという雰囲気の中育ったような気がします)の時も、日本は原子力発電を最大限拡大することによって国家的危機を乗り越え、経済大国の地位の獲得に成功しました(15p)との指摘があります。日本で原発建設が始まった少し後に第一次石油危機が来て、第二次石油危機がピーク(1980年)を迎える中も原発建設は続き、石油危機が去った後もその記憶が生々しい間にドンドン建設が進んだという流れのようです(全国の原子力発電所 運転開始年・経過年数順 敦賀・美浜・高浜・島根・玄海 JC-NET)(これ以上必要ないからかもしれませんが、1995年以降は運転開始の原発が減っています)。まぁ石油危機前に原発建設は始まっていますし、石油危機後も原子力発電所の建設はドンドン進められた訳ですが、今では(20年前くらいから)建設のペースは遅くなっていますし、石油危機を背景に原子力発電所の建設は進み、今では石油危機の混乱が思い起こされることも少なくなっていることは間違いないんだろうと思います。ですが、石油・天然ガスよりウランの可採年数が随分長いことは間違いないでしょうし(世界のエネルギー事情 関西電力)、そう考えると天然ガスに頼った発電は危ういことに気付くはずです。現在石油発電は例外的にしか行われていませんし、石炭発電は資源が豊富ですが、環境問題で批判が多く、現在持ち上げているのは批判も多いトランプ政権ぐらいなものです。まぁ可採年数がどの程度正確なのか良く分からないところもありますが、簡単にとれるところはドンドンとっていますから、採掘コストが上がっていくトレンドが確実である中(シェールガス革命も採掘コストが高い問題があることが今では判明しています)、有限でそれなりに大きい部分を占める資源の供給源をひとつ断つ(脱原発とはそういうことです)ということの愚かさは、意識しても意識し過ぎることはないと思います。これは簡単な算数の問題です。石油危機は今となっては別段資源の危機ではないように見える時に起こりました。本当にその時資源が危ないと思われていたのか、他に要因があったのか筆者は良く分かりませんが、何時また同様の危機があるかもしれません。特に今の子供達その子供達のことを考えると資源の供給源の多様化は重要と思います。石油ショックほどの危機はそうそうないかもしれませんが、原油高は今でもしばしばあり、筆者もこのブログで何時だったか原油高の頃にそれに関する記事を書いた覚えがあります。つらいことを忘れることは精神衛生上はいいと思いますが、危機を逐一忘れるようでは、危機管理はできないところがあります。天災が多い国の一種の精神的技術はあるかもしれませんが、喉元過ぎれば熱さを忘れることの問題はあるでしょう(資源の権益重視は結構筆者の論調の特徴(日本では特に保守系でよくある)でもあって、それは原発重視と同根です。別に先の大戦に至る経緯も意識していない訳ではありませんし、そこのところに特に保守系が拘るのも全て同様だと思います)。