観測にまつわる問題

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「議員は国民の代表」を貫徹したらどうでしょう?

2017-12-10 13:36:37 | 政治システム・理論
議員は国民の代表って、まぁその通りと思いますが、議員が国民の代表を言うのは違和感あるんですよね。例えば、半年前の記事になりますが、石破発言です。

自民・石破茂氏「野党の向こうに国民いること忘れずに」と安倍首相答弁姿勢に苦言(産経ニュース 2017.6.25 21:59)

>自民党の石破茂前地方創生担当相は25日放送のラジオ日本番組で、共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法に関する安倍晋三首相の国会答弁について「野党を論破するのはテクニックとして一つのやり方だが、野党議員の向こうには国民がいるということを忘れてはいけない」と苦言を呈した。

「議員=国民の代表だから自重しろ」という主張だと思いますが、これは安倍首相も議員で国民の代表であり、その意味で対等関係にあるということを忘れていると思います。国民の代表を論破したらダメと主張しているように見えますが、論破したらダメだとすると、議論のしようがありません。例えば、党首討論とはあくまで党首同士が討論する場なのであって、別に野党による一方的な首相追及の場ではないはずです。こんなことを身内から言われてしまうようでは、首相も党首討論やりたくないなと思ってしまうでしょう(実際に首相が党首討論についてどう考えているかは知りません)。野党も予算委員会で(予算について議論しろっていう話ですが)一方的に追及していた方が居心地がいいのかもしれません。今年党首討論は行われず、本日の読売社説で今年一度も党首討論が行われなかったことが指摘されていますが、蓮舫代表は党首討論から逃げたとネットで揶揄されています。前原代表は直ぐに選挙になってそれどころじゃなかったかもしれませんが、枝野代表が党首討論をやるかどうかは、確かに次の政治の論点のひとつではあると思います。ただ、なんでも反対を彷彿させる立憲民主の枝野代表が、何処まで自分のビジョンを提示して首相と対等に議論できるかに筆者は疑問を持っています。※朝の党首討論の社説が頭に残ってたのだと思いますが、無理に繋げて石破氏が言ってないことを批判しています。ワラ人形叩きという奴です。申し訳ありません。訂正しておきます。→これは国会答弁ですが、論破したら駄目だとすると、党首討論もおちおちできません。野党が素直な一般人で質問に論破したなら不味いですが、野党はひっかけ粗探しのオンパレードで論破できるならしたくもなると思います。要は文脈でしょう。・・・以上です。以下そのまま。

>石破氏は「野党だって国を滅ぼそうと思って言っているわけでも、荒唐無稽なことを言っているわけでもない。彼らも全国民の代表者で、取り入れるべき主張は取り入れ、取り入れられない点はなぜかということを分かりやすく話すことが大事だ」と語り、首相に丁寧な説明を求めた。

滅ぼそうとは思ってないかもしれませんが、例えば今北朝鮮問題を議論するより、何とか首相や自民党の粗探しで失点させて政権を手に入れるという自らのビジョンに固執しているように見えます。荒唐無稽なことは言ってないかもしれませんが、揚げ足取り・問題の摩り替えの類は日常茶飯事です。取り入れるべき主張は取り入れるなどと言ったところで、安倍政権を倒すためだで、吞めない主張を条件にしてこれが対案だと主張し、拒否されたら結局反対に回ります。

>改正法の国会答弁に加え、首相が意欲を示す憲法改正も絡めて「安倍さんは『政治は結果だ。結果が出なければ意味がない』とよく言う」と指摘した。その上で「結果が出ればプロセスはどうでもいいのかというと、そうはならない。プロセスと結果の2つとも政治が目指さなければいけない」と述べた。

筆者は目指すべきプロセスとは議員同士が対等だと自覚することからしか始まらないのではないかと思います。例えば何が問題か提示できずに「納得できない」とか延々と「追及」した政党がありましたよね。現実世界でそんなことを「追及」をする人物は凡そまともと思われません。完全に粗探しの類です。でも、日本は敬語がある国で、上下関係は社会に割合遍くありますから、自分が上の立場だと認識すると、そういう無茶な追及も問題ないと正当化されるところがあります。政治においては野党が与党と対等ではなく、国民の代表だから(そして相手は何故か(権力だから?)国民の代表ではないから)自分が上位だと誤認して、対等関係だったら絶対に通らない無茶な「追及」をしてしまうのではないでしょうか?

議員を追及してはならないと言っている訳ではありません。条件さえクリアすれば証人喚問などのシステムがあるでしょう。何でもかんでも針小棒大に解釈して粗探しで追及するなら、凡そまともな議論が期待できるとは思えません。筆者の贔屓目かもしれませんが、こういう勘違いは左翼の方に多いのではないでしょうか?国民主権を強く意識しているのはいいとしても、何故か相手も国民の代表だと忘れてしまうのは、相手が権力だから批判的に見るのが当然と強く意識している左翼の方ではないかと睨んでいます。批判的に見るのと下に見るのとでは紙一重のところがあると思います。少なくとも日本では。自分が上だと認識すると、相手の理屈は見なくなるんですね。

ですから全ての議員が議員なら自分と同じという認識の上にしか、まともな議論(自分を聖域にして他人だけ追及するようなことはしない議論、人の話を聞く議論)は成立しないと考えられます。恐らくこれは特に敬語がある文化では普遍的に通用する見方ではないでしょうか?

別に与党議員が総裁を立てるとか、大臣が首相を立てるとか、そのぐらいまでなら文脈も分かりますし、問題ないだろうという認識ですが、与野党議員の間に上下関係を持ち込んでいることが、日本の政治議論がまともにならないひとつの原因かと思って指摘した次第です。