「南京大虐殺を国レベルの記念日に」=カナダ国会議員が呼び掛け―中国メディア(Record China 2017年12月2日(土) 11時50分)
>2017年12月1日、中国新聞網によると、カナダ議会で先月30日(現地時間)、華人議員が毎年12月13日を「南京大虐殺記念日」にするよう政府に呼び掛けた。
>カナダでは今年10月、オンタリオ州議会が華人議員の提出した南京大虐殺記念日設置を求める動議を可決している。
ひょっとしたら、カナダでの印象が悪いことが、TPP11でのカナダの行動に影響してたりはしませんよねぇ・・・。それは兎も角、悪口で印象が悪くなると、全ての言動が悪くとられることは間違いありません。日本外交の力が試されると思います。
南京事件 (1937年)(ウィキペディア)
南京事件に関しては、これまで日本は数の問題で抵抗してきました。確かに中国は数を誇張していると思いますが、あまり良くない戦術だったかもしれません。筆者は南京で虐殺の類があったことは否定できない感じがしていますが、何故こうした事件が起きたか考える必要があると思います。通州事件(ウィキペディア)が著名ですが、中国は日本に追い出したいあまりに日本人を猟奇的に虐殺してきたんですね。米人記者の証言もあります。
>当時中国を取材していたアメリカ人ジャーナリストフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズは1938年11月にBehind the News in Chinaを刊行し以下のように報道している。
>日本人は友人であるかのように警護者のフリをしていた支那兵による通州の日本人男女、子供等の虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男性、女性、子供たちは野獣のような支那兵によって追い詰められていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊の暴漢どもに暴行を受けた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼等の同国人が彼等を発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼等の血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。支那兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。
日本人がどう反応したか想像に難くありません。暴支膺懲(ウィキペディア)は支那事変でのスローガンでした。虐殺をやられたから、こっちも虐殺していいという訳でもないと思いますが、こうした背景を無視して南京事件を評価するのは誤りだと思います。
日本人は当時、列強の一角でしたし、事実として満州国では五族協和を唱えています(清朝の後期から中華民国の初期にかけて使われた民族政策のスローガン「五族共和」に倣ったもののようですが)。まぁ支配すれば差別の類はどうしてもあるでしょうが、人道犯罪の類の政策を行ったことはまずないんだろうと思います。極東国際軍事裁判でもB項「通例の戦争犯罪」の適用が主でC項「人道に対する罪」はほとんど適用されていないようです。こうした文脈は当時日本と同様中国に進出していた欧米列強は承知していたと思いますし、中国も自覚していたはずですから、戦争直後に大事にならなかったし、日中平和友好条約の障害にもならなかったんだろうと思います。今中国が盛んに取り上げるのはこうした文脈が忘れ去られているからで、カナダを狙うのはカナダが中国に進出した欧米列強ではないので、そういう記憶がないからではないかと考えられます。アメリカは満州の利権の問題で日本と対立していました。
若干テクニカルな問題ですが、支那事変は日中双方の都合で戦争と認定しなかったため、ハーグ陸戦条約を日本陸軍が意識的に徹底しなかったという指摘もあるようです。
日本の保守派も誤解されていると思います。何か言い訳をしている戦争賛美者のように言われがちですが、当時さしたる問題にならなかったものが、今大犯罪のように言われるのは直感的に納得いかなかったのではないでしょうか?説明下手で状況が悪化している感じもありますが。
>2017年12月1日、中国新聞網によると、カナダ議会で先月30日(現地時間)、華人議員が毎年12月13日を「南京大虐殺記念日」にするよう政府に呼び掛けた。
>カナダでは今年10月、オンタリオ州議会が華人議員の提出した南京大虐殺記念日設置を求める動議を可決している。
ひょっとしたら、カナダでの印象が悪いことが、TPP11でのカナダの行動に影響してたりはしませんよねぇ・・・。それは兎も角、悪口で印象が悪くなると、全ての言動が悪くとられることは間違いありません。日本外交の力が試されると思います。
南京事件 (1937年)(ウィキペディア)
南京事件に関しては、これまで日本は数の問題で抵抗してきました。確かに中国は数を誇張していると思いますが、あまり良くない戦術だったかもしれません。筆者は南京で虐殺の類があったことは否定できない感じがしていますが、何故こうした事件が起きたか考える必要があると思います。通州事件(ウィキペディア)が著名ですが、中国は日本に追い出したいあまりに日本人を猟奇的に虐殺してきたんですね。米人記者の証言もあります。
>当時中国を取材していたアメリカ人ジャーナリストフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズは1938年11月にBehind the News in Chinaを刊行し以下のように報道している。
>日本人は友人であるかのように警護者のフリをしていた支那兵による通州の日本人男女、子供等の虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男性、女性、子供たちは野獣のような支那兵によって追い詰められていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊の暴漢どもに暴行を受けた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼等の同国人が彼等を発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼等の血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。支那兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。
日本人がどう反応したか想像に難くありません。暴支膺懲(ウィキペディア)は支那事変でのスローガンでした。虐殺をやられたから、こっちも虐殺していいという訳でもないと思いますが、こうした背景を無視して南京事件を評価するのは誤りだと思います。
日本人は当時、列強の一角でしたし、事実として満州国では五族協和を唱えています(清朝の後期から中華民国の初期にかけて使われた民族政策のスローガン「五族共和」に倣ったもののようですが)。まぁ支配すれば差別の類はどうしてもあるでしょうが、人道犯罪の類の政策を行ったことはまずないんだろうと思います。極東国際軍事裁判でもB項「通例の戦争犯罪」の適用が主でC項「人道に対する罪」はほとんど適用されていないようです。こうした文脈は当時日本と同様中国に進出していた欧米列強は承知していたと思いますし、中国も自覚していたはずですから、戦争直後に大事にならなかったし、日中平和友好条約の障害にもならなかったんだろうと思います。今中国が盛んに取り上げるのはこうした文脈が忘れ去られているからで、カナダを狙うのはカナダが中国に進出した欧米列強ではないので、そういう記憶がないからではないかと考えられます。アメリカは満州の利権の問題で日本と対立していました。
若干テクニカルな問題ですが、支那事変は日中双方の都合で戦争と認定しなかったため、ハーグ陸戦条約を日本陸軍が意識的に徹底しなかったという指摘もあるようです。
日本の保守派も誤解されていると思います。何か言い訳をしている戦争賛美者のように言われがちですが、当時さしたる問題にならなかったものが、今大犯罪のように言われるのは直感的に納得いかなかったのではないでしょうか?説明下手で状況が悪化している感じもありますが。