ワニなつノート

「定員内入学拒否」は「合理的配慮」に反する



「定員内入学拒否」は「合理的配慮」に反する



公立高校の定員内不合格とは何か?


《子どもの教育のために作った教室の「席」が空いているのに、15歳の子どもに対して「お前の来るところじゃない」と、学校が教育を放棄すること。》



昔、障害児は、高校受検さえ、させてもらえなかった。
まだ、千葉に「会」がなかったころ。
入学願書をもらえなかった中3の子の話しを聞いた。

受験で不合格になるならまだしも、同じ中学生なのに願書もらえない、入試も受けさせてもらえないなんてことがあるのかとショックだった。

その後、受検だけは可能になった。
「受けるのは勝手ですよ」
教師も教育委員会もそう言った。


その後、「定員内不合格」という言葉を知った。


千葉県では、「定員が空いていても」、「定時制高校でも」、300人以上の子どもが「切り捨てられている」のだと知った。


そのころ、私は東京の定時制高校にいた。
私のいた高校には「入学したい生徒」を「拒否」するという「考え」がなかった。


大学を卒業して、はじめて勤めた定時制高校だった。
だから私は何の疑問もなく、定時制高校とはそういうところなんだと思った。

なんらかの事情で、全日制高校に行けなかった子が、「やむを得ず」「仕方なく」、
でも15歳の子どもなんだから、何らかの「希望」をもって学校に来る。
だから、その子どもを、席が空いているのに門前払いするなんてことはしないのだと、
素直だった私はそう思った。


「少子化」ではなかった。
その反対の「ピーク」のころだった。
今の2倍の高校生がいた時代。
だから一学年5クラスの定時制だった。
でも4年生になるころには、生徒は半分に減った。

いろんな子、いろんな人がいた。
隣の千葉・埼玉・神奈川、栃木の子までがいた。
ベトナム、タイ、フィリピン、中国など、いろんな国の子もいた。
ベトナムから船で逃げてきたボートピープルといわれる難民の子に、その学校で始めて会った。

養護学校の高等部を卒業した子や中学の特殊学級から来る子もいた。
中学校で不登校だったという生徒が、学年に50人ほどいた。

暴走族全盛の時代だったし、大変なこともいっぱいあったけど、そういうものなのだと疑わなかった。

いろんな子がいるのだから、いろんな子を「助ける」場所が、社会のどこかにあるのは当然のことだと思っていた。
私が考えたわけじゃない。
その学校の、先輩の先生たちが、生徒と付き合う姿をみて、私が「安心」を感じていた。
だから、ああいう先生に自分もなりたいと思った。

その高校の近くに「自立援助ホーム」があった。
(そのことが、回りまわって、いま自分で「自立援助ホーム」をやることにつながっている。)


だから、千葉県の「300」という「定員内入学拒否」された子どもの数に、驚いた。


千葉では、子どもを「助けない」のかと思った。



千葉で「会」ができて28年。
いまも、今年も「定員内入学拒否」される子どもは200人近くいた。



千葉では、「あの子たちは、社会が助けなくいい子」だと扱われる子が、まだそれだけいる。



義務教育を終え、15歳で、「教育」に、捨てられる。
高校に行かないと養護施設からも出され、「福祉」からも、捨てられる。


「教育」も「福祉」も「助けなくていい」と、社会がみなし、許容している。


高校が「助けない」理由は、「義務教育じゃない」から。
施設が「助けない」理由は、「義務教育を終えた」から。


こんなにも「子ども助けない」社会で、本当にいいんだろうか。

みんな、「それでいい」と思っているんだろうか。

仕方ない、そういうものだ、と本気で思っているんだろうか。


…話しがそれていくので、(つづく)。
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