ワニなつノート

無条件に子どもの側につく思い(前編)



無条件に子どもの側につく思い(前編)



≪プロローグ≫


コメントを見落としている人がいたら、
あまりにもったいなのでまとめてみました。
ふだんのブログとは違う、
素敵な短編小説みたいになりました。
ラストシーンがいいよ(>_<)




《第1章》 ai


孤独なんです。
とても……どこにいても、
いつも最後は、二人だけになってしまいます。

子どもたちの雰囲気も、最近ぴりぴりしていて、
Oは、教室に入れない日が増えてきました。

だから、「ここにいるのは無理、いない方がいい」
ということではないと思うのです。
子どもたちも介助の先生任せ。
先生が来ないと、Oは、教室に一人置き去りに
されていることが分かりました。

だんだん、子どもたちも大人の都合に振り回されて、
大人と同じ感覚を受け入れるようになっていくのでしょうか?

不安なOは、介助の先生にべったり。
少し騒ぐと、すぐ取り出されているようです。
そうしないでくださいと訴えました。
Oが、出たいというのですから。と、
困った顔をしていましたが、一応、解ってはくれました。

私は、ここに書かれている親たちのように、強くないと。
親は、強くなければ、子どもを守れない。
あたりまえのことなのに、ひとつひとつの
親がのりこえなければならないハードルが高くて、
くしの歯が抜けるように、仲間がいなくなる。

支援者がほしくて、訴える声に、耳を傾ける人はいても、
仲間にはなれない。
必ず言われる「でもね、現実は…」

こんなこと書きこんだら、叱られそうですね。

でも、ああ、でもなんて、言いたくないですが、
特学にいた頃、いろいろ相談したくて、
yoさんたちのような活動をしている人たちを頼って、電話した時、
「ここは、普通学級に行っている親たちの相談室ですよ。」
と開口一番に言われ、へしゃげてしまったことを思い出します。

普通学級に行きたくても行けなくて、それでもがんばって、
やっと特学に入れさせてもらって。
なのに、そこでも、邪魔者扱いされて。
どこに行っても、孤独…。

そんな親と子がいることも解ってほしいなぁと思いました。
普通学級に行っている子の親だけの相談室じゃないですよね。
すべての子どもたちの相談室ですよね。
こんなこと、もう、十分わかっていることなのでしょうね。

親ならみんな出来れば普通学級に入れたいんです。
そうしたいんです。私たちのように。
孤独です。とても…。
周囲にyoさんのような人がいてくれたらと心底思います。



《第2章》 mayumi


hideの母親です。

今、本当に辛い状態の中にいるのですね。
私もここに書かれている母ですが、
私は、強くないのだよ。

強く見えるのは、泣きながらでも
譲れないものを譲らないでいたことかな。
今だって、泣きたい事いっぱい抱えて暮らしているよ。

学校の中では、私も一人でした。
自分は、間違えていないと思って、
譲れないことは、譲らないで、子どもの味方でいました。

私と先生たちとの戦いを、子どもたちは、
お母さんが子どもの味方だと思って
見てくれていました。

だから、がんばれたよ。

答えにはならないけど、
…aiさん、ひとりじゃないよ。

行けない時は、学校を休ませて、
この子が安心していける学校にして欲しいと、せまっていこう。

「ここに居るんだ、みんなと一緒に生きて行きたいんだ。」
と学校に考えさせよう。

そのことを、子どもたちみんなが見ているよ。
私は、ここで、応援しているよ。



《第3章》 かいとmama


豪雨に打たれ続けた私は、
我が子を雨から守ることに必死で、
自分の泥跳ねに気づかないような毎日を送っていました。

守っていたつもりの子どもから、
「がっこういかないよ…」
そんな言葉まで言わせてしまう、情けない親、
堂々巡りの毎日…。

六月、「だいじょうぶ。」
その言葉に単純な私は、「そうだ。だいじょうぶなんだ。」
長い間の集中豪雨が通り過ぎた気がしました。
それが、就学相談会でした。

その日から、今日まで揺らぐことのない
「だいじょうぶ」のたくさんの声をいただきました。
そして私も「だいじょうぶ」と言ってあげることが
多くなりました。

 [気管切開の子どもの学校生活を考える講演会]
たくさんの「だいじょうぶ」に、
たくさんの子どもたちが勇気をもらえる、
そんな講演会にしたいと思います。



《第4章》 kawa


6年前の私を思い出しました。
その時、私が闘っていたのは
「学校」ではありませんでした。

「でもね、私たちもいろいろ折れてきたんだから。
ここは千葉ではない!」
心から信じてきた「会」に、真っ向から反対をされました。

千葉から遠く離れていた私は、
この地で生きていくのだから、
「会」の言うことを聞くしかないと思い込んでいました。

でも辛くて辛くて、aiさんのコメントのように
辛い気持ちを千葉の会の方にメールしました。
辛い気持ちを、苦しい状況をただ聞いてほしかったのです。

でも千葉の会の方たちは、
「そんな会やめればいいよ。
なんにでも相談に乗るし、アドバイスするから」と、
思いもよらない返事が返ってきました。

私は「一人ではない」と思いました。

千葉までは物理的にはとても遠い距離がありました。
何回も何回もメールのやり取りをしながら、
すぐ横を向いたら千葉の方が
「そこにいる」感じがしました。

心の距離は全然ありませんでした。

私の気持ちを受け止めてくれるところは、
千葉の会しかありませんでした。
どこにいても相談はできるし、
とっても勇気をもらいました。

私の地域では誰もいなくても、
千葉では同じ思いの方がいると思うだけで
元気が出てきました。

不安で心が揺れながら、
でも子どもの気持ちを大事にしたくて。

みんな同じ思いでつながっています。
決して「ひとり」ではありませんよ…。



《第5章》 ai

かいとママさん、
kawaさん、
mayumiさん。
皆さん、ありがとうございました。

返信が遅くなって申し訳ございませんでした。
毎回、ここに来ると、涙が止まらなくなります。
一言一言にこめられた、みなさんの思いがあたたかくて。
今朝も泣きました。時がたつのを忘れるくらい。

Oは、そんな私を心配して、いつもより早く目覚め、
ずっとそばに寄り添っていました。
Oは、私以上に、私の気持ちがわかるのでしょう。

「だって、(こんなに重かったなんて知らなかったから)」
「でもね。(県にも市にもお金がないんですよ。)」
「お気持ちはわかります。でも…」と言われない場所。
ここにいていいんだよ。と言ってくれる人たち。
どんなに辛くても、同じ痛みをともにできる人たちに
出会えたことがうれしくて。

ここに来ると、いっぱい泣きます。
強くなくてもいいのだと。
みんな弱いのだと。
仲間は多くないのかもしれないけれど、
深いきずなで結ばれているのだと。

だから、痛みを分かち合えるし、いっしょだよ。
と言えるのですね。ひとりじゃないよ。と。

かつて、壁にかかっていたカレンダーの詩の一節を
思い出しました。
「弱さが集まれば、より真実に近いような気がする。」

強くあることよりも、
心に正直であることの方が大切なのだ
ということに気づきました。

「O君は、幸せだね。こんなお母さんを持って。」と、
ぽつりと語ってくれた人。
無我夢中で走り続けていた時だったから、
その人の言葉の背後に隠された思いを
計り知ることはできませんでした。

最近やっと、何を訴えたかったのか、
理解できるようになりました。

あぁ、私たち、とても幸せなんですね。

いっぱい泣かないと、いっぱい笑えないから。

相談は、ここにします。
「だって。」「でも」
「お気持ちはわかります。でもね…」
のない場所だから。
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