インスタへの投稿が一通り終わったので、両方見て下さっている方には重複してすみません汗
ただ、ブログの方がより詳しく、画像も多めになっています!
年イチの記念日旅行、昨年は生きているうちに行けると思っていなかった別子銅山跡。
今年は別子ほどではないものの、東北行くなら是非寄りたいと思っていた「釜石鉱山選鉱所跡」へ、
夫が旅先を決めた瞬間、決めました笑
釜石鉱山は、岩手県釜石市の西部に位置する鉄鉱石鉱山で
仙人峠で磁鉄鉱が発見された江戸時代末期からその歴史が始まりました。
安政4年 (1857) には南部藩士大島高任(たかとう)によって洋式高炉が作られ、日本で初めて鉄鉱石製錬に成功。
我が国の近代製鉄の発祥として本格的な鉱山開発が始まりました。
釜石鉱山の坑道総延長は1,000キロにも達していたという※情報サイトより抜粋
主要の鉄以外に金・銀・銅・鉛・亜鉛なども産出したそう。
相当な規模の鉱山で、時代によってだと思うが8,000人くらいの人々が暮らし、社宅はもちろん学校・病院・商店・娯楽施設などもあり、大変賑わったということです。
平成5年(1993年)に大規模な鉄鉱石の採掘を終了し、現在は鉱泉水・地下空洞跡地利用の事業を展開しています。
※現在でも年間約100トンの採掘を行なっているそう。
平成5年というとそう遠くない昔、結構最近まで建屋などはあったのですね。
こちらは旧釜石鉱山事務所(現・展示室)の前にあったこの周辺の地図。
こちらはまた別のエリアの、昭和29年の写真。
そのほか、所々に当時の写真があるので、今の風景と合わせて見ることができます。
この写真の真ん中あたりの白い建物が鉱山事務所。
今も同じ位置に。右横の学校は取り壊され今は何もありません。
旧鉱山事務所(現展示室)の近くに
釜石鉱山大橋選鉱所跡(鉄鉱石)。
今は山肌に基礎が残るのみ。
ここの解体前の写真がこちら↓
15年前までは建屋があったのです!
ここに・・・
立派な遺構、産業遺産です。
そしてこちらも選鉱所跡ですが、こちらは銅鉱石の選鉱所跡のようです。
丸いシックナー(液体中の細かい砂などを分離させるための装置)も石垣が残っていますが埋め立てられています。
建屋の解体前の写真がこちら↓
右側の丸いシックナーがあるのがわかります。
なんだかカラフルですねー^^
でも今はコンクリートの基礎が残るのみ。
別子銅山跡の時も思いましたが、もうちょっとだけ残してくれたらいいのにな。
でもこれくらいで想像したり思いを馳せるのが、またいいのかな?
どちらかというと自然が好きで(今もですが)人工物に興味ありませんでした。
もっと早く興味持っていれば、あの時あの地域行ったのに!って思うことありますよね笑
でもおっしゃる通り、基礎けでもかなりそそりますよね。
確かに遺構には桜や紅葉より、ススキが似合います!
写っててよかった笑
もっと早く鉱山とか遺稿とか廃墟とかに興味あったらと悔やむ事が、本当に多々あります。
とは言え、基礎だけどなった状態もまたそそる!wwww
晩秋のススキなんかが揺れてるような雰囲気もまた、哀愁があってたまりませんね。