昨日の記事で「五」ではないところに寄って来たと書きました。
中学校の時の修学旅行で、函館を各自で市内見学する時に行ってみたいな~
と思っていて、15年以上経ちようやく行くことが出来ました。
この場所に着くまで迷いました・・・。
小路に迷い込んでしまい携帯のGPS機能を使って、ようやくたどり着きました。
「四稜郭」 (しりょうかく)
(函館市陣川町)
そうです。五じゃないんです。
五稜郭の北東約3kmのところにあります。
明治元年(1868)、森町鷲ノ木に上陸し五稜郭を占拠した旧幕府軍は
江差や松前方面を攻略して蝦夷共和国を建国をしましたが、翌明治2(1869)
年の新政府軍攻撃により次第に函館方面に後退しました。
このため、主戦場となる函館近郊を一望でき、また同時に五稜郭や鎮守府
である東照宮を防御するために、この四稜郭は築造されました。
同年4月下旬から(旧幕府軍)兵士200名と付近の住民約100名を動員して、
昼夜兼行の工事により短期間で完成しました。
5月11日早朝からの新政府軍総攻撃により、わずか数時間で陥落したと言
われています。
5月17日、蝦夷共和国(旧幕府軍)総統・榎本武揚が降伏し、翌日の5月18日
に五稜郭を開城し函館戦争は終結しました。
四稜郭の名は、蝶(ちょう)が羽を広げたような四稜の突角を有する形から
その名が付けられたものです。
函館戦争の舞台になった四稜郭。昭和9(1934)年に国の史跡に指定され
ていますが・・・市民が野球をしちゃってます・・・。
なんとものどかな風景・・・。
真ん中に見えるのが、 新 五稜郭タワーです。
GRAYの某メンバーが幼少の頃、四稜郭によく遊びに来たとか・・・。
四稜郭の桜
五稜郭の話をする際、四稜郭って言うのもあるの知ってる?
と、小ネタとして使ってみてはいかがでしょうか?