札幌オリンピック追記 では選手村について詳しく取り上げました。
今回は、真駒内柏丘地区にあったオリンピック施設ついて取上げます。
真駒内緑町にあるプレスハウスについて おさらいの意味で前回の記事抜粋
プレスハウス(M棟)
こちらも、以前の記事でも紹介しましたが、外国人プレスハウスとして使用されました。
(3DK60戸と4DK50戸 前述の2DK50戸は除く)
オリンピック終了後は、分譲住宅として売り出されました。
(建設当時 日本住宅公団 昭和46年10月30日完成)
M棟は6棟建っているのですが、調べた所 M3棟は、オリンピック村従業員宿舎として使用された事が解りました。
従業員宿舎は、このM3棟(30戸)の他に、男子選手村のどこか調べきれなかった(2DK・5戸)と女子選手村(3DK・20戸と
4Dk・4戸)に設けられたそうです。女子選手村の従業員宿舎は主に通訳用として使用されたそうです。
ここからは新しい記事です。
柏丘プレスハウスは、プレスセンター(現・北海道青少年会館)に隣接する形で建設されました。
海外の報道関係者に用意されました。
プレスセンター
この施設は、北海道青少年団体連絡協議会からの設置要望を受け、北海道開基百年(昭和43年)事業の一環として、次代を担う青少年の
健全育成を願い、その活動の拠点として計画されたものである。
また昭和44年、北海道は労働省(当時)に対し、勤労者の福祉増進のため「勤労総合福祉センター」の設置を強く要望し、翌年、真駒内柏丘
の現在地に建設されることが決定した。本館、体育棟については雇用促進事業団(当時)が、また、ホ-ルについては北海道がそれぞれ建設
することとなり、昭和45年9月に起工式が挙行された。翌46年完成を迎えたが、47年2月に開催された「第11回冬季オリンピック札幌大会」
のプレスセンタ-として一時利用された後、同年5月1日『真駒内ハイツ北海道青少年会館』として開館した。
本館、体育棟について、国より北海道が施設譲渡を受けたのを機に、平成16年4月より『北海道青少年会館』として営業を継続した。
北海道青少年会館ホームページより引用
昭和46年11月竣工
オリンピック当時は、報道本部・記者会見・各国集会・及びデータ処理の各室が設けて取材活動の便を図ったそうです。
以前のプレスセンターの記事はこちら
五輪団地A
と現在、称されている団地は、北海道住宅供給公社によって建設されたものです。
(3LDK56戸・4LDK96戸)
オリンピック終了後は、分譲住宅として売り出されました。
(昭和46年11月20日完成)
五輪団地B
と現在、称される団地は、日本住宅公団(現・UR 都市再生機構)によって建設されたものです。
(3LDK56戸・4LDK22戸)
オリンピック終了後は、分譲住宅として売り出されました。
(昭和46年11月20日完成)
柏丘プレスマン食堂棟
現在は札幌第11トーカンマンション真駒内というマンションが建っている場所には、柏丘地区のプレスマン
食堂があったようです。
オリンピック終了後は、土地所有者に返還され建物は払下げられました。
(当時、国際地所開発(株))
それぞれの位置関係です。
Google map を使用
真駒内緑町・真駒内柏丘のプレスハウスは海外の報道関係者に手配された宿舎でした。
日本の報道関係者に手配された宿舎もありました。
真駒内から離れた場所に二か所ありました。
日本人プレスハウス南3条地区
現在、UR 都市再生機構の札幌南3条第2市街地住宅として賃貸住宅として使用されています。
(3階~10階が住宅になっています 1LDK32戸・2LDK80戸 五輪当時1Fを食堂・スナック・事務所として借用)
(建設当時 日本住宅公団 昭和46年11月30日完成)
札幌市中央区南3条西8丁目7
日本人プレスハウス北13条地区
現在、UR 都市再生機構の札幌北13条市街地住宅として賃貸住宅として使用されています。
(3階~10階が住宅になっています 1LDK40戸・2LDK72戸 五輪当時1Fを食堂・スナック・事務所として借用)
(建設当時 日本住宅公団 昭和46年11月30日完成)
札幌市北13条西3丁目2-1
いかがでしたでしょうか?
柏丘プレスマン食堂の当時の写真が無いのがちょっと残念です。
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