島武意海岸に寄った後に、こちらにも行ってみました。
神威岬 (かむいみさき)
(積丹郡積丹町大字神岬町)
前回、来たときは遊歩道が工事中で突端まで行けませんでした。
神威とは、アイヌ語で「神」という意味です。
この付近は古くから海上交通の難所として知られていた。
日高地方の首長の娘チャレンカが源義経を慕ってこの岬まで源義経一行の後を追ってきたが、既に海の彼方へ去ったことを
知って身を投げ、神威岩になったという言い伝えがあり、チャレンカの嫉妬心が女を乗せた船を転覆させたことから、岬一帯が
女人禁制の地になったとされる。
もっとも現実は、和人が岬から奥地へ定住することで、ニシン漁を始めとした権益を損なうことを恐れた松前藩による規制と
考えられている。1855(安政2)年に蝦夷地一帯が幕府直轄下におかれると女人禁制は解かれ、奥地への定住が進んでいった。
Wikipediaより引用
説明はさておき写真を。
と、上までは前回の記事の丸写しですが、ここからはオリジナルです(笑)
女人禁制の門
念仏トンネル (写真・中央部の穴)
大正元(1912)年10月29日、天皇誕生日に灯台長の夫人と次男・補助員の夫人がお祝いの食料品を余別に買出しに
行く途中に大波にさらわれて行方不明になってしまいました。当時の神威岬への道のりは海岸の大きな岩を飛び越えながら
伝って歩くといった状態でした。
この事故に心を痛めた村人たちは、協力してトンネルを掘ることになり、トンネルの両方向からたがねとハンマーで掘り続け
ましたが、掘り進めたトンネルが交わることが出来ず、工事はストップしていまいました。
村人達が、犠牲者の供養の為に、トンネルの両方向から念仏を唱え鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向が解り
工事が再開され大正7年11月8日に開通しました。
これにより、灯台職員とその家族、灯台を訪れる人の安全が守られることになりました。
神威岬灯台
この灯台は明治21(1888)年8月25日に初点灯し、北海道の灯台では5番目に古いものだそうです。
駐車場から歩くこと25分
神威岬の突端にたどり着きました。
海底が透きとおって見える程の、濃いブルー まさに積丹ブルーです。
岬の先にあるこの島は、神威岩と呼ばれています。
また、来た道を戻るわけです・・・。
国道からの神威岬入り口にはゲートがあります。下記の時間が開いています。
4月 8:00~18:00
5月 8:00~19:00
6月 8:00~19:30
7月 8:00~19:00
8月~10月 8:00~18:30
11月 8:00~17:00
12月~3月 10:00~15:30
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