「某民主主義人民共和国」⑥
つまらん猿芝居に付き合わされた。ツマラナイ国だと思っていた
が、最低の結末に終わった。私の予測も丸っきり外れてしまったが、
それなら、打ち上げなかった方がマシではなかったか。
日本の専門家に言わせると、初歩的なミスだそうだ。もっとも、日
本の監視システムもそれ以下だったことを露呈した。つまり、いくら
技術が優れていても、人為がそれを生かせないというのは、技術以前
の問題ではないか。もう、政府の言い訳は聞き飽きた。この政権は、
言い訳ばかり繰り返している。
思うに、某国であれ、我国であれ、組織の在り方に問題が隠されて
いるのではないだろうか。例えば、サッカーで勝つためにはチームワ
ークも重要だが、個々の選手のゲームを組み立てる能力も重要になる。
いざ相手との試合になれば、指導者やコーチが考えたようにはボール
コントロールできない。ピッチに立って局面をどう打開していくかは
個々のプレーヤーのイマジネーションに任せるしかない。しかし、チ
ームワークにばかり頼っているとそのイマジネーションが生まれない。
個を重んじるか、或いは組織を重んじるかはサッカーの永遠のテーマ
である。ところが、アジア人は迷うことなく組織に阿(おもね)る。お
かしいと感付いても、組織を乱してはならないと口を噤む。
恐らく、数多居る技術者の中には、おかしいと思う者もいたに違い
ない。それでも、上の者に逆らって口出しすることは秩序に反するの
だ。かつて、自動車会社ホンダの創業者本田宗一郎は、技術開発に行
き詰り、若い技術者の一言で光明が見えた時に、「何で早よ言わんか
った」と訊くと、その技術者は「自分は下っ端ですから」みたいなこ
とを言い、彼は「技術に上の者も下の者もあるか」と叱ったというエ
ピソードを彼の自伝で読んだことがあるが、恐らく、某国ではそんな
話さえも夢物語に違いないのだろう。しかし振り返って見て我国とい
えども、一流企業で起こったトップによる巨額の損失隠しや不正流用
など、まったく某国を嗤えないような情けない事態が、序列に縛られ
た組織の中で起こっている。
「技術に上の者も下の者もない」とすれば、それは技術の分野だけ
に止まらず、芸の世界も、知の世界も、経営の世界でも、或いは政治
の世界でも、凡そ人間が生み出すものの世界では、実は、上の者も
下の者もないのだ。まずは、それぞれが自分の考えを持つことこそが
重要であって、ただ、「目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶるこ
と能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、その従順なること家
に飼いたる痩せ犬の如し。」(福沢諭吉「学問のすゝめ」)では、どこかの
国のように、いくら優れた技術力があったとしても、誰も自ら進んでそれ
を活かそうとは思わない。
(おわり)