「めしべ」⑨
しかし、われわれの理性にとって「未知」を捉えられないまま生
きることは割れたコップと同じで無意味である。理性はこう言うの
だ、「生きることには意味がある」と。そこで、理性は「未知」の
世界を仮想によって措定して認識しようとする。こうして、神が作
られ科学が生まれた。つまり、われわれは我々の認識から生まれた
措定の世界を生きているだけではないか。ビッグバーン理論によっ
て宇宙の成り立ちを説明されても、目の前のコップのように何の関
心ももたらさない。認識は決してわれわれに存在の意味を教えては
くれない。ピカソはわれわれの認識を信じなかった。理性は生きる
ための手段であっても生命を生むことはできない。絵画を始め芸術
とは萌え出る生命に対する驚喜が生む生命へのオマージュである。
つまり、理性は芸術など生まない。ピカソは人物をひたすらオブジ
ェとして描いた。彼の関心は人間にあったが、それは不可解な存在
としての人間だった。そして、その不可解さこそが生命の根源であ
ると信じていた。ピカソの怪しい人物画は、われわれの認識を嘲笑
っているかのようで捉えどころがない。彼の絵を観る者は認識を逆
行して生命の根源へ戻された感覚に自失してしまう。ところが、し
ばらく眺めていると、絵の中の人物が存在感を増しそれとは反対に
わたしの存在の方が怪しく思えてくる。そして、はからずもわたし
に「めしべ」と読まれた絵の中の人物はわたしにこう告げた、
「わたしはあなただ」
と。
もう何も出て来ないので(おわり)かも、