「めしべ」⑩
一時、小林秀雄に惹かれて、それでも難しいので途中で本を閉じ
たり思い出しては手に取ったりしていると、彼の著書の中にしばし
ばフランスの哲学者ベルグソンの名前が出てきたので、岩波文庫の
ベルグソンの「創造的進化」を買って読もうとした。「読もうとし
た」と記したのは読み切れなかったからで、小林秀雄が難しいと言
っている者が、後から知ったことだが、その小林秀雄でさえもベル
グソンの評論を途中で執筆を断念したほど緻密で、わたしにとって
はあまりにも「日暮れて道遠し」の感から途中で投げ出してしまっ
た。そのベルグソンの著書「創造的進化」の中で唯一記憶に残って
いるのは、生命が眼を持つに到った記述で、ベルグソンは、太陽光
線に侵された生命体の一部の細胞がシミに変化して、そのシミが眼
になったという謂わば仮説で、それだけが何故かわたしの記憶に残
っている。
われわれのあらゆる器官は環境からの刺激とその反応から生成し
進化したとすれば、たとえば、眼の持つ能力とは太陽光線が地上に
届く際の特徴に限定されていると言わざるを得ないのではないか。こ
うしてわれわれのあらゆる器官が環境に適応するために備わったと
すれば、つまり、われわれは世界内存在として世界の外を窺がう能
力など持ち合わせていないことになる。自動車をいくら改造しても空
を飛ぶことはできないように。
まだ、(つづく)みたい