「無題」
(十一)―③
神社の鳥居を潜って境内に入り、手水舎で清めてから参道を通っ
て拝殿で礼拝し、それから、脇道を抜けて鬱そうと茂る鎮守の森に
入って設えた馴染のベンチに腰を下ろし、ズボンのポケットから読み
かけのキルケゴールを取り出して開いた。神社の境内でキルケゴー
ルを読むというのも罰当たりかもしれないが、すでに彼の「死に至る
病」も途中で苦痛を感じ始めていた。それは、終始「単独者」としての
絶望と「キリスト者」として信仰に対する苦悩ばかりが語られていてと
ても面白い本とは言えなかった。何度も集中が途切れて放り投げた
が、ただ、退屈の末に巻末の解説を読んでしまったことから途中で
止めるわけにはいかなくなった。つまり、彼の生い立ちの方がよほど
本文よりは面白い、じゃない興味をそそられた。
まず、セーレン・キルケゴールのキルケゴール(Kierkegaard)と
いう名前にはデンマーク語で「教会の庭(英語:church garden)」
(ウィキペディア「キェルケゴール」次も同じ ) という意味があり、
「セーレン・キルケゴールの父ミカエルは ( デンマークの) 西ユトラ
ンド半島のセディングという荒野で教会の一部を借りて住んでいた
貧しい農民だった。」セーレン・キルケゴールは、父ミカエルと二
人目の妻との間に七番目の末っ子として生まれた。そのとき父はす
でに56歳、母は45歳の年寄子だった。彼にとってその父の存在
は生涯に亘って大きな影響を及ぼした。
その名前の由来のように、彼の父ミカエルはキリスト教の篤信家
であったが、その恵まれない境遇から神を呪ったという。その後、
コペンハーゲンに出て住込店員から身を起こし、毛織物商として成
功を収め莫大な資産を築いた時、それは神への裏切りから手に入れ
た成功で、何れ神による審判が下されるものと信じて疑わなかった。
更に、彼の妻は、先妻が子を残さずに亡くなった後に女中から後妻
となり、結婚前にはすでに主人の子を孕んでいた。それは、キリス
ト教の敬虔な信者であるミカエルにとっては到底許されないことで
あった。彼は終生その罪の意識に苛まれ、「41歳の時に突然事業
から身を退き、以後は読書と宗教生活に沈潜し、専らの関心を子供
たちの教育に集中した。それは厳格でまた真剣そのものであった。
中でも宗教教育が父に重要な意味をおびた。とりわけ末子のセーレ
ンに対しては特別に厳しく、気違いじみた宗教教育をほどこした。」
(橋本淳「生涯と思想ーキルケゴール小伝」現代思想4.1977
vol.5-4)父は、わが子セーレンに神の怒りを宥めるための犠牲
として神への服従を厳しく押し付けた。後に、セーレンは「私はひ
とりの老人によって恐ろしく厳しいキリスト教へと教育された・・」
と語っている。思うに、父ミカエルを生涯苦しめた罪の意識とは、
先妻の死に関して何らかの故意的な行為があったからではないだろ
うか?そうでなければかくも神の制裁を怖れるものだろうか。
さて、その子セーレン・キルケゴールは、「私はまだ一度も子ど
もであったことがなかった」と書くほど、父から受けた洗脳によっ
て幼い頃からキリスト者として厳しい信仰を意識した憂欝な幼少
期を過ごした。彼が外に出て遊びたいと言っても父は許さず、そ
の代りに、わが子の手を取って居間の中を歩き回り、空想の中に
連れ出して言葉の描写によってわが子の願い通りに町の散歩に連れ
出し、知り合いの人にあいさつを交わしたり、或いは、通りを車が
ガラガラと音を立てて通り過ぎる様子や、店頭に並ぶ菓子や果物を
まるでそこに居るように語り聴かせて息子を決して飽きさせなかっ
た。そして、この「居間での散歩」が息子の鋭い想像力を養った。
やがて、父が怖れていた罪への報いは、家族の度重なる死となっ
て現れた。七人居た子らは次々と早逝し、その母も亡くなり、わず
か三年足らずの間に四人が次々に居なくなり、二女も三女も33歳
で死に、それはイエス・キリストが磔にされて死んだ年齢で、神の制
裁によって自分の子どもたちはイエスよりも長く生きることが許さ
れないのだと信じた。そして、最後には父と長男と末子のセーレン
の三人だけが残された。遂に、父は自らが犯した「罪過の告白と呪
われた家族の秘密、そして厳格な宗教教育の意味、更には神の怒り
の下にある罪の家族の一員としてセーレンもまた近い日に早逝する
ことを打ち明けたのだろう。」(橋本淳「生涯と思想」) 彼もまた33歳
までに死ぬものと覚悟を決め、やがて34歳の誕生日を迎えた時に
はそれが信じられず、教会に自分の生年月日を確認しに行ったほ
どである。更に彼は、父が死んですぐ後に「いまなお生きる者の
手記より」というおかしな題のアンデルセンについての文章を残し
ているが、何れも神による裁きが下されるものと固く信じていたか
らである。父が犯した罪によって神の裁きが家族に下されることを、
父から告白されたセーレンは後にこう書き残している。
「そのとき大地震が、恐るべき変革がおこって、とつぜん私はあら
ゆる現象をまったく新しい法則に従って解釈しなければならなくさ
れた。私の父が長生きしているのは、神の祝福ではなくてむしろ神
の呪いであったことを、私は予感した。私たち家族のものが精神的
にすぐれているのは、ただおたがいにせめぎ合うためばかりに与え
られたものであったことを、私は予感した。私の父が私たちの誰よ
りも長生きしなければならない不幸な人であり、父自身のあらゆる
希望の墓の上の十字架であるのを私が知ったとき、死のしじまが私
のまわりに加わりゆくのが感じられた。負い目は家族全体のになう
ものとなるにちがいない。神の罪は全家族の上にふりかかるにちが
いない・・・」
これは、キルケゴールの「大地震」として知られているが、「す
ぐれているのは、ただおたがいがせめぎ合うためばかりに与えられ
たものである」とすれば、優れた能力はただいがみ合うためにあり、
また、長生きすることさえも幸福をもたらさない、否、それどころか
長生きすることが苦痛以外の何ものでもない。啓示のような閃きは
彼に逆説をもたらした。そして、「キリスト教は、愛と救いの宗教で
はなく、苦悩と刑罰の宗教としか見えなかった」(桝田啓三郎「解説」)
彼は、自分自身に負わされた宿命から逃れるように一時は放蕩に
溺れ、何たって金持ちだから、父の死後はそれも悔い改めて終生
「キリスト者」としての生き方を模索する。
そして、彼の人生にとって最大の出来事は、婚約者レギーネ・オ
ルセンとの婚約破棄だった。「キルケゴールは17歳のレギーネに
求婚し、彼女はそれを受諾するのだが、その約一年後、彼は一方的
に婚約を破棄している。この婚約破棄の理由については、研究の早
い段階から重要な問題の一端を担っており(キェルケゴール自身、
『この秘密を知るものは、私の全思想の鍵を得るものである』とい
う台詞を自身の日記に綴っている)」(ウィキペディア「キェルケ
ゴール」) それは、彼が背負わされた宿命とそれがもたらす憂愁
がなければ決して起こり得ない逡巡であった。果たして、33歳ま
でに死ぬと信じている27歳の男が確かに金はあるかもしれない
が、17歳の娘と結婚して彼女を幸せにすることができるだろうか?
キルケゴールは彼女を愛するが故に婚約を破棄する。まるで、愛
しているが故に別れなければならないとでも言うように・・・。
(つづく)