「無題」
(十六)―⑨
周囲を山々に囲まれた村は、燃え尽きて赤くなった日が山の端に
没し始めるとまたたく間に夕闇が訪れた。結局、わたしは缶ビール
を三本も飲んでしまい、みんなからは車を運転して帰ることをきつ
く咎められた。もしも、それに従わずに生家に帰っていれば、地元
の者でさえも余程のことがない限りは出控えるという闇夜の山道を、
道を誤ることにおいては人後に落ちないわたしは、たぶん、崖から
でも落ちて生家を通り越して生まれる前の世界に還っていたに違い
なかった。それでも、部屋を用意するからという暖かいもてなしにも、
彼らを煩わせたくないという思いから車の中で寝ると言って頑なに
拒むと、春だといってもまだ夜は冷えるのでとても眠れるわけがな
いからそんな遇(あしら)いはできないと譲らなかったが、バロックの
嫁さんが、それならと、近くに温泉旅館があるというので、そこに泊
まることで折り合いがついた。すると、バロックが「俺もひさびさに湯
に浸かりたい」と言い出し、「それじゃあワシも」とゆーさんまでもが
ついて来た。バロックの嫁さんが運転する車に三人が乗り込んで夕
闇から遁れるようにして着いた旅館には、きのう被災地からの帰り
の車で一緒だったガカとサッチャンが似合わぬ揃いのハッピを着て
待っていた。
(つづく)