「英霊たちによる侵略」

2013-05-02 05:03:20 | 「パラダイムシフト」



            「英霊たちによる侵略」


 連休中は穏やかに過ごしたいと思って政治や経済について記すの

は控えようと思っていましたが、また日常に戻るとすぐ忘れてしまうに

違いないので私自身の記憶のために以下を残します。

「安倍晋三首相は23日の参院予算委員会で、日本の植民地支配へ

の反省とおわびを表明した『村山談話』に関連し、『侵略という定

義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちら

から見るかで違う』と述べた。」[朝日新聞デジタル]とある。村山

談話にある「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大

の損害と苦痛を与えた」を踏まえての発言で、「遠くない過去の一時

期」に行った日本の行為を侵略とは言えない、と言うのだ。ここで「

侵略」の定義を検めるつもりはないが、つまり、領土領海が定まって

いないと言うなら分るが、「国家」が定義できるなら「侵略」の定義が

定まらないはずがないのだが、ただ、私が問題だと思うのは、そん

なことを言ってしまえば、ソ連による北方領土への侵攻も、韓国によ

る竹島支配も、はたまた中国による尖閣諸島への侵犯さえも、それ

ぞれの国から見れば侵略ではないと主張できる言質を与えることに

なるではないか。さらに、我々がそれらの国に対して「侵略」だと批

難することさえ怪しくなる。我々の行為は侵略とは言えないが、彼ら

の行為は侵略である、では安倍総理のおっしゃる通り確かに「侵略」

の定義は定まっていない。

 以下は、こんな時勢にもかかわらず提灯行列に付和雷同せずに自

らの意見を堂々と述べておられる経済学者の高橋乗宣氏が日刊ゲ

ンダイに寄せた記事の転載です。


           *    *    *


     「権力の犠牲者」を「英霊」と美化する目くらまし
         
          [高橋乗宣の日本経済一歩先の真相] 
                 (日刊ゲンダイ2013/4/26)


危うい教育の中立性

安倍内閣の閣僚や国会議員の靖国参拝が、また、中韓両国に日本批判

の材料を与えている。

安倍首相は「どんな脅かしにも屈しない」と強気だが、わざわざ両国と

の対立を激化させる必要はないだろう。毎年、同じ問題で関係を冷え

させるのは知恵がない。そろそろ問題の解決に向けて動くべきだ。

これを恒例行事にするのは、愚かなことである。

安倍首相の言い分も理解できない。

24日の参院予算委で、「英霊に冥福を祈ることを批判されても痛痒を

感じず、おかしいと思わないのがおかしい」と強調したが、靖国神社に

祀られているのは権力の犠牲者にほかならない。強権力によって戦争

に動員され、命を落とした人たちである。それを英霊と呼び、英雄視す

るのは、権力の暴走を美化する目くらましだ。日本の近代史を塗り替

える発言である。

 日清戦争、日露戦争、太平洋戦争は、いずれも他国の侵略に対抗する

ための防衛戦争ではない。日本が海外に打って出た戦争だ。それを主

導した連中によって亡くなった犠牲者を英霊とあがめるのは、国を危

うくした政治指導者の間違った行為を正当化するものである。到底受

け入れられないし、靖国神社には、過ちを犯した指導者も一緒に祀ら

れているのだからなおさらだ。教育再生実行会議は先日、首長に教育

長の任命(罷免)の権限を与え、教育行政の責任者を合議制の教育委員

会から教育長に移す改革案をまとめた。軍部が介入した戦前の反省か

ら、政治からの独立性や中立性を重んじてきた教育制度が、根底から

覆ろうとしている。道徳の教科化も検討されているし、教科書検定の

あり方にもメスが入る公算は大きい。

 こうした教育改革が、近代の日本の戦争を反省せず、当時の政治指

導者も否定しない首相の下で進められようとしている。果たして、そ

の行き着く先はどうなるのか。歴史を塗り替えて過去を正当化するた

めに、戦争まで再チャレンジなんてことになりかねない。

 昨年の衆院選で自民党は、「日本を取り戻す」と訴えた。これが意味

するところは何だったのか。戦前回帰だったとしたら恐ろしい。