「歴史認識」
今さっき、テレビで朝のニュースを観ていて、安倍総理の発言に
「えっ?」と思った。それは、彼が参院予算委員会で、「歴史認識
を外交上の問題にすべきではない」と発言したからです。韓国への
侵略も従軍慰安婦問題もでっち上げだと言っている者が、被害を訴
えている国に対して「もう済んだことやないか」と言っているので
す。たとえば、われわれは韓国や中国の国民になって、侵略者から
「そんなことやってない」と言われ、挙句の果てに「もうすんだこ
とやないか」と言われたらどうでしょうか?過去の過ちを認めさせ
ることなしに付き合うことができるでしょうか?たとえば、北朝鮮
の政権が変わって民主化した時に、われわれは、「拉致事件は前政
権がやったこと」という新政権の言い分けを黙って聞けるでしょう
か?外交上の認識とは歴史を通じて生まれてくるのです。つまり、
外交関係を発展させるには歴史認識を共有することから始めないと、
常に過去のわだかまりが邪魔をして前に進まないのではないだろうか。
安倍総理が「かつて多くの国々、とりわけアジアの人々に多大な損害
と苦痛を与えたことは過去の内閣と同じ認識だ」と言うのであれば、
外交上の問題を語る前に歴史認識の共有を図るべきではではないだ
ろうか。我が国の保守派の人々は事あるごとに加害者としての自虐史
観を糾そうとするが、しかし、われわれが戦後一貫して自虐的に接して
きた相手は戦勝国アメリカだったではないか。アメリカとの屈辱外交が
その表裏となって隣国との歴史認識を粉飾させてきたのではないだろ
うか。長いものに巻かれるものは短いものを蔑ろにする。それはどちら
も独立した精神とは言えない。独立国家として憲法を改正して軍隊を持
つと言うなら、その前に占領軍の撤退を求めるべきではないか。
アジアの歴史を見続けてきた歴史小説の大家、司馬遼太郎によれば、
日本はこれから先二千年は事あるごとに侵略の恨みを耳にすることに
なるだろうと先見していた。少なくとも私自身は、過去に暴力を受けた相
手がどれほど謝ったとしても、彼は決して自虐的な人間だとは思わないし、
それでも一生付き合おうとは思わない。
![NHKニュース](http://www3.nhk.or.jp/news/images/logo.png)
(おわり)