「政治家は浪花節を語るなかれ」

2013-05-14 14:08:08 | 「パラダイムシフト」



          「政治家は浪花節を語るなかれ」


 たまたま、昨日の夕方にテレビの国会中継を観て、今は維新の

会に所属している中山恭子議員が、彼女は小泉政権時の拉致問題

担当補佐官だった、参議院予算委員会で関連質問に立ち、米議会

調査局が報告の中で指摘した安倍総理に対する「強固なナショナ

リスト」について総理自身の見解を求めた。ただ、どうも昨日は

「復興エネルギー原発」関連の集中審議だったらしく委員長から

そのことを指摘されて恐縮しながらも質問は認められた。その後、

自身がウズベキスタン大使の時に経験した親日的だった国民の印

象を述べ、彼国と強い繋がりを持つ麻生副大臣に彼国がなぜ日本

に友好的であるのかを語らせた。後になって申し合わせていたに

違いないと思ったが、彼国では「タロ・アソ」と知られているらしい彼

の講釈を聴いて不覚にもウルッとなった。

「タロ・アソ」によると、戦後シベリアに抑留された日本兵のうち

2万何千人かはウズベキスタンへ移送されてその地での過酷な労働

に従事させられた。そこで彼らは監視の目が届かなくても実直に作

業を行い、その後、ソ連崩壊によって独立を果たした彼国の大統領

は、子どもの頃に母から日本人の勤勉さを教えられて今の自分があ

ると彼に語った。そして、近年起こった大地震によってウズベキス

タンに在る建物はほとんど倒壊したが、かつて日本兵によって造ら

れた建物だけは被害を免れて今も多くの施設が利用されていると紹

介し、彼らは勤勉な日本人を養った優れた日本文化に今も敬意を抱

いているということだった。

 話はそれだけで、「ええ話やな」で終わるはずだったが、ただ私

は聴き終わって、閣僚が国会で浪花節を語ることに少し違和感を持

った。そもそも、日本兵がシベリアで拘束抑留された原因をもたら

したのは時の政治家たちではなかったか。本来、政治家は日本の優

れた文化や人間性を語る前に、最後には「一億玉砕」まで覚悟しな

ければならなくなった戦争になぜ我が国が突き進んでいったのか、

を語らなくてはならないのではないだろうか。少なくとも国会で政治家

から戦争中の「ええ話」などは聴きたくない。最近の政治家や評論

家の話を聞いていると、どうも情に流されて、多くの命が奪われた戦

争そのものを語らずにこの手のエピソードばかり披露されて、揚句に

日本人の優れた美徳を称賛して終わる。それでは武器など捨てて日

本人の伝統文化だけで戦えと言いたくなる。一億人が神前で同時に

柏手を打てば微かでも「神風」が起こるかもしれない。否、そうやって

神州不滅を信じて「一億総懺悔」に到ったのだ。ただ、相手は野蛮で

我々の方が優れているといった思い上がりこそが驕慢を増長させ、

相手の反感を買っているのではないだろうか。つまり、われわれは我

が国の優れた国民性を語るほどに過去の過ちを省みなくなり、過ちを

省みない限り改めざる過ちを繰り返すに違いない。なぜ「一億総懺悔」

に到ったかを外交的にも戦略的にも検証せずに枝葉末節の美談の一

節を語るのは、賎しくも政治家や、まして閣僚であるなら国会の場では

なく、末広亭あたりでやってもらいたい。

                                (おわり)                        

「どうなった?鳥インフルエンザ」

2013-05-13 09:30:06 | 従って、本来の「ブログ」



      「どうなった?鳥インフルエンザ」


 連日のように感染者の増加が報道されていた鳥インフルエンザの

ニュースがゴールデンウィークを迎える辺りからピタッと止んだ。

もちろん、ニュースとして伝わって来ないからといって感染の流行

が収まったとは言えない。もっとも恐ろしいのは流行していてもそ

の事実が隠蔽されてしまうことだ。もしも、流行が収束したならそ

の事実が伝えられて然るべきだがそれすら伝わってこない。どう考

えてもおかしい。とすれば、これは事実を隠蔽している以外に考え

られない。では、なぜ隠蔽しなければならないかと言えば、知られた

くないことが続いているか、或いはもっと手に負えない事態が起こっ

ている可能性さえあると考えた方がいいのではないか。実際、中国

当局は最近になって言論に係わる様々な機関に対して規制を強化

している。当局が言論を規制するのは国民に知らたくない事実があ

るからに他ならない。もはや中国の情報は、本来伝えられるべきニ

ュースが伝わって来ない事実から事態を推測するしかないのだ。

                                  (おわり)




「ナショナリスト」

2013-05-11 03:32:40 | 「パラダイムシフト」



                「ナショナリスト」




  米議会報告書:「安倍首相は強硬なナショナリスト」と懸念
             毎日新聞 2013年05月09日 11時36分
                          (最終更新 05月09日 13時12分)

 米議会調査局が今月1日付でまとめた日米関係の報告書の中で、
安倍晋三首相について「強硬なナショナリストとして知られる」と
記述し、首相や政権の歴史認識問題を巡る言動について「地域の関
係を壊し、米国の利益を損なうおそれがあるとの懸念を生んだ」と
指摘していたことが8日、分かった。また、首相の歴史認識問題や
靖国神社参拝などへの取り組みは「米国や近隣諸国から注視される
だろう」と記した。

 報告書は、安倍内閣の閣僚らによる靖国神社参拝に対し、中国や
韓国が反発していると紹介。首相について「日米同盟の強力な支援
者として知られる」とする一方、「米国の利益を損なう可能性があ
る地域的な緊張を起こすことなく外交政策のかじ取りをうまくでき
るかという問題に直面している」とした。

 具体的には、首相の言動について「帝国主義に基づく侵略や他の
アジア諸国の犠牲を否定する歴史の修正主義を信奉していることを
ほのめかしている」と分析。旧日本軍の慰安婦問題への関与を認め
て公式に謝罪した1993年の河野洋平官房長官(当時)の「談話」見
直しの動きについて「日本と韓国、さらに他の(アジアの)国々
との関係を悪化させるだろう」と指摘した。

 報告書は、議会調査局が議員の活動を支援するためにまとめる参
考資料。


       *       *      *



 そもそも、何れの国家(NATION)のリーダーたちもナショナ

リストに決まっている。それは何も安倍首相に限ったことではなく、

韓国の大統領も中国の指導者も、アメリカの黒人初の大統領にして

も自国の利益と繁栄を第一義に政治を行っているのだからナショナ

リストに違いない。つまり、ナショナリストでなければ国家のリー

ダーは務まらない。私は、安倍首相が「強硬なナショナリスト」で

あっても一向に構わないと思う。ただ、インターナショナリズムの

下でナショナリズムが他国に受け入れられない時、国内問題だと自

国の正当性を主張するばかりでは埒が明かない。ナショナリストは

同時にインターナショナリストでなければならない。たぶん、米議

会調査局が言いたいのは、安倍総理はナショナリズムに固執してイ

ンターナショナリズムへの理解がないということではないだろうか。

中国に抜かれたとはいえ経済大国の日本のリーダーは偏ったナ

ショナリストではいけないのだ。ただ、国家のリーダーが国民の支

持によって選ばれるのであれば、国民こそがインターナショナリス

トでなければならない。狭いナショナリズムに偏った「井中の蛙」ば

かりではやがて世界から見捨てられるだろう。現に、東アジアの諸

国は我が国の軍隊によって侵略され被害を受けた国ではないか。

わが国が欧米による植民地支配からアジアを守るために、近代社

会への転換を図るあれやこれやの援助をしたとナショナリストの人

々は反論するが、治安を守るために、否、自分たちの権益を守るた

めに軍隊までも派遣駐留させたことは決して口にしない。しかし、そ

れによって侵略の非難は免れず、すべての貢献は徒となる。私は、

「仲間じゃないか」(アジアは一つ)と近付いてきて干渉された揚句、

上手くいかなくなると暴力を振るい、問い詰められると「そんな覚え

はない」と開き直るのは悪人の所業としか思えない。しかも恩だけ

押し付けられるとしたらとても堪えられないだろう。そして、被害者

には加害者が罪の償いを終えたとしても、再び同じ過ちを繰り返そ

うとするなら抗議する権利がある。オウム事件の被害者たちが再

び名前だけを替えて麻原教祖の教義を信奉する団体に対して抗

議する心情は理解できる。だから、侵略された国がわが国の国家

イデオロギーを怖れて抗議するのも筋違いとは思えない。そもそも、

ナショナリズムこそが第一義で、国民の権利は二の次というのであ

れば、すぐにでも学べる理想の国はすぐ近くにある。私は彼国がわ

が国とかけ離れたところに在るとは思っていない。「将軍様、マンセ

ー!」 も 「天皇陛下バンザイ!」も同じメンタリティーではないか。し

かし、ナショナリズムが本来求めているはずの国益を損なわせてま

でもイデオロギーに固執するのであれば、それは本当のナショナリ

ストとは呼べないのではないか。少なくとも、国民主権を憲法で定め、

民主主義政治を布く国家のリーダーは、たとえ自らが「強硬なナショ

ナリスト」であったとしても、暮らしの安全と繁栄を願う主権者である

国民から選ばれた代表である限りは、近隣諸国から相次ぐ非難を

受けてまでも再び誤まった国家イデオロギーを蘇えらせてはならない。

わが国が誤まったのではない、世界が誤まっていたのだ、というのは

何という官僚的な詭弁であるか。国家は決して国民に愛国心を圧し

付けてはならないと思う。国民自ずから愛国心が芽生える国家でなけ

ればならない。国家の繁栄と子孫の幸福のために自らの命を捧げた

英霊たちは、果たして、ふたたび国家のために犠牲になる若者たちを

喜んで迎えるだろうか?ふたたび戦前のような社会に戻ることを願っ

ているだろうか?子孫たちが暮らす国を危うくしてまで参拝されること

を望んでいるだろうか。「八紘一宇」を信じて散って逝った兵どもは、

いまのアジアの対立をどう思っているだろうか?否、今こそアジアは

対立ではなく、「八紘一宇」(インターナショナリズム)の精神に立ち返

るべきではないだろうか、もちろん、天皇陛下の「下に」ではなく。

                                 (おわり)



「歴史認識」

2013-05-09 08:23:45 | 「パラダイムシフト」




              「歴史認識」

 
 今さっき、テレビで朝のニュースを観ていて、安倍総理の発言に

「えっ?」と思った。それは、彼が参院予算委員会で、「歴史認識

を外交上の問題にすべきではない」と発言したからです。韓国への

侵略も従軍慰安婦問題もでっち上げだと言っている者が、被害を訴

えている国に対して「もう済んだことやないか」と言っているので

す。たとえば、われわれは韓国や中国の国民になって、侵略者から

「そんなことやってない」と言われ、挙句の果てに「もうすんだこ

とやないか」と言われたらどうでしょうか?過去の過ちを認めさせ

ることなしに付き合うことができるでしょうか?たとえば、北朝鮮

の政権が変わって民主化した時に、われわれは、「拉致事件は前政

権がやったこと」という新政権の言い分けを黙って聞けるでしょう

か?外交上の認識とは歴史を通じて生まれてくるのです。つまり、

外交関係を発展させるには歴史認識を共有することから始めないと、

常に過去のわだかまりが邪魔をして前に進まないのではないだろうか。

安倍総理が「かつて多くの国々、とりわけアジアの人々に多大な損害

と苦痛を与えたことは過去の内閣と同じ認識だ」と言うのであれば、

外交上の問題を語る前に歴史認識の共有を図るべきではではないだ

ろうか。我が国の保守派の人々は事あるごとに加害者としての自虐史

観を糾そうとするが、しかし、われわれが戦後一貫して自虐的に接して

きた相手は戦勝国アメリカだったではないか。アメリカとの屈辱外交が

その表裏となって隣国との歴史認識を粉飾させてきたのではないだろ

うか。長いものに巻かれるものは短いものを蔑ろにする。それはどちら

も独立した精神とは言えない。独立国家として憲法を改正して軍隊を持

つと言うなら、その前に占領軍の撤退を求めるべきではないか。

 アジアの歴史を見続けてきた歴史小説の大家、司馬遼太郎によれば、

日本はこれから先二千年は事あるごとに侵略の恨みを耳にすることに

なるだろうと先見していた。少なくとも私自身は、過去に暴力を受けた相

手がどれほど謝ったとしても、彼は決して自虐的な人間だとは思わないし、

それでも一生付き合おうとは思わない。

NHKニュース



                                 (おわり)



「広島風お好み焼きラーメン」

2013-05-07 02:22:12 | 短編



           「広島風お好み焼きラーメン」


 私がいま住む町は、山陽と山陰を分かつ中国山地の山間地に位置

し、その盆地の地名は一説には三本の河川が交わるところから名付

けられたというほど長年の河による山の侵食とその堆積によってわ

ずかばかりの平地が形作られて、古くから山陰と山陽の交通の要所

として賑わいその名残は旧市街地に今も微かに留めている。高度成

長期に背骨のように縦貫道路が貫通し、それ以来の夢であった山陰

と山陽を繋ぐ横断道路は何度も構想されては頓挫していたが、とこ

ろが、政権交代による政策転換からアベノミクスの財政緩和で再び

公共事業が見直され一転して陽の目を見て、まもなく山陰と山陽が

高速道路で繋がり、その先は瀬戸内海を跨ぐ「しまなみ海道」へと

繋がり四国へも延びようとしている。当初は片側二車線の高速道路

を計画していたが、日本経済の停滞と軌を一にするように見直され

て実際は一車線道路に落ち着いた。それでも、山また山の「やまな

み」を串刺しするように走る道路の工事は難航して、まずは比較的

平坦な沿岸部からの二方向から山間部へと攻め上がるように着工さ

れてその一部はすでに開通したが、後は中国山地の難所の所どころ

に破線のように造られた道路を繋ぐばかりだが、それでも山の中腹

をくり抜いて思わぬところから顔を覗かせたトンネルの出口とその

先のトンネルの入口を地上の遥か上空にまで橋脚を立てて繋ぐ工事

は容易ではない。先日は、山陰の町から私の住む町までの開通式が

行われたが全線開通は来年の予定である。

 少し経ってから試しに走ってみたが目に映るものは山肌を削った

あとの法面とトンネルばかりで、まるで水路の中を流れているよう

で、当てもなくただ「流れる」ことに飽いて最初の出口でウィンカ

ーを点けて近くにオープンしたばかりの道の駅で休もうと思ったら、

すでに駐車場が一杯で仕方なく行き交う車もない市道を走っている

と、しばらくすると道の前方に一軒の店があった。看板には「広島

風お好み焼き」と書かいてあったが、ところがそのすぐ後に「ラー

メン」と書かれていた。遠くから見るとそれはまるで「広島風お好

み焼きラーメン」と書かれた一つの看板のように見えたが、近くま

で来ると別々であることがわかった。店の前のガラガラの駐車場に

車を止めて、このまま引き返して帰ってしまうのは口惜しかったの

で、何の期待もせずに話しのネタにと思って、まあ腹も空いていた

ので車を降りた。

 横長の一軒の店舗だったがドアが二つに分かれていて、一方のド

アの上には「広島風お好み焼き」と書かれた先ほどの看板があって、

もう一方のドアの上には「ラーメン」と書かれた看板があった。私

はそれを斜めから見て「広島風お好み焼きラーメン」と勘違いして

しまったのだ。どっちにしようかと迷いながらラーメンの方が調理

が早いと思ってそのドアを入ると、入口は別々だったが何のことは

ない、店の中で繋がっていた。10席ほどのカウンター席だけで、

カウンター越しに厨房のあるよく見かけるスタイルだったが、その

カウンター台はちょうど真ん中から先には鉄板が敷かれていた。「

いらっしゃい」と、店の端にあるテレビを観ていた亭主が座ったま

ま商売気のない応対をした。鉄板の敷かれたカウンター席の奥では

奥さんらしき女性がカウンターに俯せになって寝ていた。「しまっ

た!」と思ったが引き返すのは体裁がわるかった。私は、カウンタ

ー席に仕方なく腰を下ろして台の上のメニューを見ながら、何か口

実を見つけてこの店を退散する方法がないものかと考えていた。と、

その時、さっきの勘違いした看板のことが閃いた。私は、さすがに

そんなものがあるわけがないと思ってメニューも見ずに、

「あのぉ、看板見たんですけど、広島風お好み焼きラーメンってあ

ります?」

と、亭主の方が断るだろうと思って注文すると、亭主はあっさりと、

「できるよ」

と答えた。そして、奥で寝ている奥さんに、

「かあちゃん、陰陽(いんよう)ラーメン!」

と告げると、彼女は背を起こしてスクッと立ち上がった。私は茫然

としながら「えーっ!できるんか!」と焦ったが今さら断ることが

できなかった。

 それは、まさに「広島風お好み焼きラーメン」そのものだった。

奥さんは鉄板で少し小さめだが香ばしく焼いた太めの拉麺を挟んだ

肉厚の広島風のお好み焼きを焼き上げると、亭主はそれを平ための

丼に受けてラーメンスープをかけた。私はその様子をカウンター越

しに、時には立ち上がって眺めながら、その手際の良さは決して今

始めて試みているとは思えなかった。そして、

「はいよ」

と、出された「広島風お好み焼きラーメン」を呆気にとられて見つ

めていると、というのもスープに浸かったお好み焼きの表面には陰

陽道の大極図が描かれていたのだ。亭主が、

「冷めちゃうと不味くなるじゃろ」

と言ったので、私は、

「あのぉ、これ、どうやって食べたらいいのですか?」

と尋ねると、

「口で食わにゃあ」

と冗談を言ってから、

「まず、そのお好み焼きの皮を破って中の麺をラーメンのようにし

て食べてみな」

そう言うので、私はお好み焼きソースと山芋のすりおろしのようだ

が器用に描かれた大極図の真ん中を少し硬めの表面の皮を箸で破っ

てから中の焦げた麺を啜るとそれはまさしくラーメンだった。スー

プは乾燥魚介を使った和風のあっさり味だったが上に掛った調理さ

れた山芋のトロロがお好み焼きソース独特の酸味を柔和させ絶妙に

組み合わさって香ばしい麺に絡んだ。それはこれまで味わったこと

のない不思議な味だった。私は豚骨系のスープがまったくダメで、

特に背脂とか聞いただけで何故か肥満オヤジの脂ぎった背中を思い

出して吐きそうになる。やがて、脇に追いやっていた蒸されたキャ

ベツやお好み焼き本来の具を口にするとそのスープと絡みながらも

それはそれでしっかりと広島風お好み焼きの味を堪能することが出

来た。私は思わず、

「美味い!」

と言った。ボリュームに圧倒されながらも、あっという間に「広島

風お好み焼きラーメン」を平らげた。すると亭主は始めて愛想を浮

かべた。食べ終わって、私は亭主に、

「でも、何でこんなメニューを考えたのですか?」

と訊くと、亭主は、

「あんたのように何人も勘違いしてそれを注文するもんじゃけぇ、

作ってみようと思ったんじゃ」

彼らは、最初はお好み焼き屋を始めていたが、思い通りに客が増え

ず、そこで亭主がいま流行りのラーメン屋に変えようと言ったが奥

さんが頑としてお好み焼き屋を譲らないので仕方なく両方始めるこ

とになったらしい。そして、その店の看板から「広島風お好み焼き

ラーメン」が生まれた。つまり、看板から生まれた本当の「看板メ

ニュー」だった。

「いやぁ、それにしてもこんな変わったラーメンは始めてですよ。

是非ブログでお店の紹介をしたいので写真を撮ってもいいです

か?」

と訊くと、

「いやいや、まだ創作段階じゃけえ、それだけは堪えてくれ」

亭主が言うには、今はまだお好み焼きソースの「陰」とラーメンス

ープの「陽」の絡みがいま一つ納得できないで試行錯誤している

からそれは困ると言った。

「まあ、陰陽(いんよう)道が繋がる頃には完成させるつもりじゃ

けん」

「えっ!陰陽道?」

「ああ、陰陽道」

 山陰の松江と山陽の尾道を繋ぐ横断道を地元では「陰陽(いんよ

う)道」と呼んでいる。さすがに「おんみょうどう」とは発音しな

いが、山陰の「陰」と山陽の「陽」から単純にそう呼ぶようになっ

たにしては何とも妖しい名前である。亭主はお好み焼きとラーメン

のまったく異なった食べ物のコラボレーションを、それにあやかっ

て「陰陽ラーメン」と名付けた。というわけで、 「広島風お好み焼

きラーメン」の写真や店の場所をブログに載すことができないのは

残念ですが、「陰陽道」が開通する来年まであと少し待ってください。

 それにしても、「広島風お好み焼きラーメン」はユニークで美味

しかった。きっとB級グルメグランプリにも出せばぶっちぎりでグ

ランプリを獲るに違いない。ただ、それまであの店が持つかどうか。



                                 (おわり)