「生成と科学」

2020-01-14 01:45:15 | 従って、本来の「ブログ」
          「生成と科学」


 科学は真理の追究によってもたらされたが、しかし真理とは絶対

不変であるとすれば、科学は絶対不変の存在である唯一神への信仰

から派生した、いや、一神教の世界からしか派生し得なかったに違

いない。そして、真理とは絶対不変であるとすれば、この世界はす

べてが遷り変わる非真理、つまり仮象の世界でしかない。この世界

が仮象の世界でしかないとすれば、この世界を超えた絶対不変の真

の世界があるに違いない。こうして真理の追求が一神教(キリスト

教)を生み、そしてやがて科学をも発展させた。つまり、真理、神

、科学、これらは世界を固定的にしか捉えられない理性によって生

み出された。しかし、生成の世界とは変遷流転する仮象の世界であ

り、固定化した理性は真理には的中せず、「真理とは幻想である」

(ニーチェ)とすれば、真理の追究によってもたらされた神の世界は

もちろんのこと、科学でさえも幻想ということにならないだろうか

。では、科学が幻想とはいったいどういうことだろうか。生成の世

界は循環して再生されることによって変遷流転するが、科学技術が

産み出した人工の物質は再生されずに自然循環を妨げる。それはさ

ながら流動的な生成の世界に固定化した真理がそぐわなくなること

に似ている。変遷流転する生成の世界の下で、固定的な科学的認識

は一時的には《真理》に的中しても時間的経過の中で次第に《真理》

から外れていく。たとえば、私が石板に「今は2020年1月8日

6時30分です」と刻印しても、《真理》であり得るのは一瞬だけ

でその後は次第に《真理》から遠のいて行く。つまり、われわれは

変遷流転する生成の世界を認識(理性)によって捉えることができな

い。科学とはわれわれの認識(理性)によってもたらされるとすれば

、生成の世界の下では科学的認識もまた《真理らしきもの》に近付

くことができたとしてもいずれそぐわなくなる。

 いまや近代科学文明社会はグローバリゼーションによって外部を

失い閉じた世界となった。これまでは開いていた外部(自然環境)に

大量放棄してきた人工物質のゴミは再生されずに閉じられた世界を

汚染し始めている。生成としての世界が循環再生によって永遠性を

維持していたとすれば、循環再生されない科学物質に依存する近代

社会は永遠に続くことはない。つまり、絶対不変の真理の追究から

生れた科学文明は、絶対不変であるが故に永遠に循環する生成の世

界にそぐわなくなり一時的に繁栄したとしてもやがて消滅する《幻

想》でしかない。未来の人類は、なお生き延びていたとしてのこと

だが、今われわれが享受している科学文明社会を営んでいないこと

は明白である。我々の理性はかつては神の世界、そして今では科学

と、いずれも真理の追求から派生した《幻想》を追い求めてきた。

ハイデガーはそれを「存在忘却」と言った。そもそも形而上学の命

題は「存在とは何であるか」を問う学問だったが、神にしろ科学に

しろそれらは本来の命題から逸脱した《幻想》でしかない。《幻想》

でしかないと言うのは、永遠不変に続けられないということである。

分かり易く言えば、限りのある化石燃料を消費して温室効果ガスを

撒き散らしてそんな文明が永遠に続くわけがない。われわれは世界

をバラバラに解体して自分たちの都合の良いように作り変えたが、

それは永遠に循環する生成の世界から外れた一時的な《幻想》でし

かない。つまり、すでに神が、そして、いずれ科学もその価値を失う。

                         (おわり)

「あほリズム」(630)

2020-01-13 12:58:20 | アフォリズム(箴言)ではありません

        「あほリズム」

 

         (630)

 

 グローバル化によってマクロ世界が限界に達したとすれば、

われわれはミクロ世界へ向かうほかない。ところで、限界から

世界を再構築する箱庭文化とはわれわれ日本人の得意分野では

ないか。

 

          (631)

 

 逆に言うと、我々日本人はマクロ世界、たとえば地球温暖化

問題などはどう扱っていいのか知恵が浮かばない。


「中国の歴史ある独立映画祭、終了へ 政府の検閲強化が背景に」

2020-01-13 05:44:19 | 従って、本来の「ブログ」

「中国の歴史ある独立映画祭、終了へ 政府の検閲強化が背景に」 

https://www.afpbb.com/articles/-/3263178

【AFP=時事】中国で最も長い歴史を持つインディペンデント映画
祭の一つである「中国独立影像展」(CIFF)が、政府による検閲強化
の影響を受け、その幕を下ろすことになった。同国で「純粋に独立
した」映画祭を続けていくことはもはや不可能だという。

 CIFFはメッセンジャーアプリ「微信(ウィーチャット)」の公式
アカウントで映画祭の終了を発表。「目下、地方における活動の状
況では、純粋に独立した精神と実質性を持つ映画祭を企画すること
は不可能であると考える」と説明した。

 それ以上の詳しい理由については明らかにしていないが、現在同
国では、習近平国家主席が率いる政権の下でメディアやエンターテ
インメント業界での検閲が劇的に強化されている。

 発表によるとCIFFは、2003年に同国東部南京市で開始され、これ
まで14回にわたり開催されてきた。

 CIFFは、同性愛や大規模な三峡ダム計画をめぐる論争など、セン
シティブなテーマを取り上げた映画を上映することで知られていた


 北京電影学院の教授を務め、CIFFの主催者の中心人物である張献
民氏は、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストに対し
、映画祭の終わりは、もっと映画が規制されていた時代に中国を引
き戻すとコメント。「われわれは20年前に戻ってきた。インディペ
ンデント映画の余地も機会もない時に」と語った。
                   【翻訳編集】AFPBB News


      *      *      *

 いよいよ中国が芸術文化に対する検閲を強化して管理社会への道を

突き進もうとしている。私はこれまでにも何度か中国文化の衰退を指

摘してきたが、遂に映画も自由に創れなくなったということは、そも

そも映画とは政治、文学、社会が複雑に絡み合った総合芸術で、かつ

て中国は独自の優れた映画文化を育んできたが、もしも、「われわれ

は《真理》のために没落することがないようにするために、芸術を持

っている」(ニーチェ)とすれば、いずれ中国社会はかつてのようなニ

ヒリズム社会、それは多くの国民が麻薬に依存する社会、へと再び没

落するのかもしれない。その結果(アヘン戦争)中国は香港を失ったが、

今や再び香港を失おうとしている。それは権力者だけが思うがままの

特権に与って、ほとんどの国民が絶望の中で暮らす、謂わば中国の北

朝鮮化である。私には、中国の未来は共産党支配の崩壊しか見えてこ

ない。


仮題「科学と自然」②

2020-01-13 04:52:00 | 従って、本来の「ブログ」
         仮題「科学と自然」


              ②


 いまや近代科学文明社会は急速なグローバル化によって外部を失

い閉じた世界となった。これまでは外部として開いていた自然環境

に大量放棄してきた人工物質は再生されずに閉じてしまった世界を

汚染し始めている。捨て場所を失ったゴミは再生されずに自然循環

を妨げ、地球は「ゴミの星」と化した。生成としての世界が循環再

生によって永遠性を維持していたとすれば、固定化した近代社会は

永遠に続くことはないだろう。つまり、変遷流転する生成の世界か

ら見れば固定化した科学文明は一瞬だけ繁栄してすぐに消滅する《

幻想》の世界にほかならない。もっと分かり易く言えば、われわれ

は世界をバラバラにして自分たちの都合の良いように組み換えたが

それは失敗だった。

                        (つづく)

「あほリズム」(629)

2020-01-13 03:14:16 | アフォリズム(箴言)ではありません
         「あほリズム」


          (629)


 愛は本能である、理性からは生れない。

 理性に強いられた愛は「偽愛」である。

 もっと分かり易く言えば、国家主義者の愛国心は「偽愛」である。

 愛するのに理由などいらない。

 にもかかわらず彼らの愛国心は押し付けがましい。